「こちら『犬』。対象はどこへ向かった?」
「『蟲』より『犬』へ。A地点だ。『火』の予想が的中した」
「……どうする。阻止か?」
「うかつに手を出すわけにはいかない。本部に連絡し指示を仰げ。俺は対象の観察を続ける」
「了解」
それが与えられた日のことを思う
「こ、こんばんは……」
「お、おう」
扉を開けると、見慣れた白い瞳。ナルトの部屋の前に所在なさげに突っ立っていたのは、二ヶ月ほど前から付き合いだした彼の恋人だった。
「ど、どうしたんだってばよ? こんな遅い時間に」
「あ、め、め、迷惑だった、かな……」
「いやいやいやいやそうじゃなくって! 門限とかさ、いろいろあるだろヒナタん家は!」
「えっとね、……抜け出して来ちゃった」
「……そ、そうですか」
「うん」
「………」
「………」
沈黙。いつにも増して遠慮がちに顔を伏せたままのヒナタと、その彼女の頭のてっぺんをじっと見つめるしかできないナルト。彼女は目を合わせるのを恥ずかしがるので、こういう時ナルトはわざと視線を外して彼女が顔を上げやすくしてやるのだが、今日は目を離すことができなかった。なぜならヒナタがここに、ナルトの部屋にやって来たことなど数えるほどしかなく、しかもその全てがナルトの誘いによるもので、彼女が自発的にここを訪れることなどあり得ないだろうとまでナルトは思っていたのだから。
さらには、ヒナタの恰好である。落ち着いた色合いの、シンプルで露出の少ない彼女らしい恰好ではあるのだが、その、まとう雰囲気というか、気合いの入り方というか、なんというかそこはかとなく――
(『お洒落してる』って感じなんだよな……いや、なんとなく、だけど)
そんな理由でナルトが凝視していると、それに堪えかねたかのようにヒナタが声を上げた。
「あの、い、いきなり訪ねてきちゃってごめんなさい……れ、連絡する時間がなくってね、その」
「ああ、いや、だからそれは気にしなくていいって。でも、なんで急に来てくれる気になったんだってばよ? わざわざ家を抜け出してまで」
「……それは、」
わずかに、空気が変わった。……気が、した。
「…………なんとなく……」
「なんとなくって……」
ナルトが思わず呆れ声を出すと、唐突にヒナタが顔を上げた。
「ダメかな?」
目を合わせて、はっきりとした声で言う。
「なんとなく、ナルトくんと一緒にいたくなったの。ナルトくんの顔が見たくなって、ナルトくんの声が聞きたくなって、それから、それから――」
「………」
「理由がなくちゃ、ダメ、かな……」
「い、いえ。全く。そんなことは。ございません。」
動揺のあまり途切れ途切れになりながら、なんとかそれだけの返事をする。
とんでもない破壊力だった。赤くなったほお、潤んだ瞳、わずかに震えた声。真っ正面から、どこかすがるような表情で、言われたのが先の言葉である。大抵の男ならば一撃で仕留められる、それだけの威力をもった攻撃だった。彼女がそんな技術を習得しているとは思えないから、天然の所作なのだろう。
「ととととりあえず立ち話もなんだしさ!! せっかく来てくれたんだしお茶の一つも出すってばよ!! な!? 話はその後にしよう!」
確実に赤くなっているであろう顔を誤魔化すように大声で言って、ナルトはヒナタを部屋に迎え入れた。
「こちら本部。対象の様子は?」
薄暗い部屋の中で、彼女は語りかける。目の前の机に乗っている、体長十センチほどの甲虫に向かって。
外郭の下の薄い羽をそろって立てたその蟲が、羽を震わせて音を出す。それはまるで人の声のようになり、彼女の耳に届いた。
「『蟲』より本部へ。対象は現在、A地点目前で敵1と会話中。会話の内容までは聞き取れない。……今、対象が敵1と共にA地点に侵入した。これ以上の追跡は困難」
声は冷静な男の声で、ターゲットの動きを告げてきた。男と同じく、冷静に――しかし、どこか楽しむような色をにじませて――彼女は返答する。
「了解。……予想外に動きが早いな。あね、……おっと、対象の性質上、もうちょっと時間がかかるかと思ったんだけど」
「落ち着いてる場合かよ! もう部屋に入っちまったんだぞ!?」
蟲から、先ほどとはまた違った男の声が響いた。『蟲』と彼女のやり取りを聞いていたらしいその男は、あきらかに焦っている様子で声を荒げる。
「いいか、現状ははっきり言って一刻の猶予も許されねえ! 飢えた野犬の檻に生肉放り込んだようなもんだ! このまま放っておいたらどうなるか――」
「あわてても仕方ないでしょう。『眼』をそちらに向かわせるわ。『犬』は『眼』と共にA地点へ行き、部屋の内部を監視して。決定的なことになりそうだったら強攻手段もやむなし。突入して制止すること。心配しなくても、あなたたちが到着するまで『蟲』に見張らせておくから」
「『眼』!? ってことは、おい『火』、ひょっとして敵2は……」
「ええ」
不敵に笑って、彼女は己の斜め後ろを振り仰ぐ。
「彼はもう、私たちの味方よ」
部屋の隅、従者のように立っているその男は、憮然とした面持ちで彼女の言葉にただ一度、
「……フン」
と、鼻を鳴らした。
「おじゃまします」
「どーぞどーぞ」
この部屋を訪れるのは初めてではない。付き合い出して間もないころ、ナルトはよく彼女を部屋に連れて行こうとした。最初はその意味がわからず、単純に遠慮していたのだが、ある日根負けしてデートの帰りにこの部屋にやって来たのだった。
その日のことは、忘れたくても忘れられない。……いろいろな意味で。
ともかくその日以来、「恋人の部屋を訪れる」という行為の意味を学習したヒナタはかたくなにナルトの誘いを拒むようになったのだが、それでも最近は何度か訪れることがあった。無論『何もしない』という約束をさせた上でではあるが。この手の約束というのは破られるのがセオリーだが、ヒナタは柔拳法を用いて完全に約束を守らせていた。
閑話休題。そんなわけでまだ数回しか訪れたことがないにもかかわらず、この部屋の間取りや家具の位置、散らばる小物の種類まで、ヒナタは把握していた。この部屋での記憶は、どれもこれも(貞操をめぐる攻防戦の記憶もあるが、それも含めて)脳裏に焼きついて離れないほどに、楽しい思い出ばかりだったからだ。
「晩飯はもう食ったよなー? なんかお菓子とかあったかな……とりあえずお茶入れるってばよー」
「あ、いいよそんな、おかまいなくー」
卓袱台の前に座って、台所へ向かうナルトに返事をする。一息ついて、ヒナタは周囲を見渡した。
コードの絡まったゲーム機。ヤカンの乗った小型ストーブ。マンガ雑誌が数冊。窓際に置かれた小さな鉢植からは、緑色の芽が顔を出している。
前に来た時と変わらない。これがいつも通りの様子なのだろう。
「………」
いつも通り。
わかっている。期待をするのは筋違いだ。彼は恐らく、知らない――あまり気にするタイプには見えないから、誰かに聞いたこともないだろう。知らないのだから、いつも通りなのもあたりまえのことだ。何も言わないで期待をする方がおかしいのだ。
(そうよ……それなのに、部屋まで押し掛けて、家を抜け出してまで……私、本当に、なにやってるんだろう……)
自分に呆れかえって、ヒナタはこっそりとため息をついた。
「来たか。速かったな、『犬』」
「……どうだ? 中の様子は」
「蟲の報告を聞く限り、今のところは特に問題ないようだ。普通の歓待を受けている……だが、なにしろ相手はあの男だからな」
「次の瞬間にも何するかわかんねーよな……くそ、今すぐ突入したい気分だぜ」
「まあ落ち着け。『眼』はどうした?」
「……ここだ」
「なんで赤丸の横腹にしがみついてんだ? 上に乗ってりゃいいのに」
「貴様がフルスピードで走らせるから振り落とされそうになったんだ……!」
場所はナルトの部屋があるアパートの前。三つの人影と大きな獣の影が、闇にまぎれて会話を交わしている。
「見てくれ『眼』。お前の眼力なら、部屋の内部を見通せるはずだ」
「……フン。こんな出歯亀のような真似は、気が進まんのだがな」
言い訳っぽくひとりごちて、彼はその白い瞳にチャクラを集中させる。
「……白眼っ!!」
「………」
「………」
重苦しい沈黙が、部屋の空気を圧迫していた。
二人、卓袱台を挟んで向かい合って座る。卓袱台の上には二人分のお茶とせんべい。ヒナタは静かな動作で湯呑を手に取り、静かに一口すすった。湯呑を元に戻し、
「………」
「………」
沈黙。
冷汗が流れる。ヒナタは確かに話し上手な方ではないが、いつもはナルトのやかましさが自然とそれをフォローしていた。だが、この状況。場の主導権を握っているのはあきらかにヒナタでありながら、その彼女が何も話そうとしない。何を話せばいいのかすら、考えあぐねているようだった。だからナルトも話し出すことができず、故にこの沈黙が生まれたわけだが。
(……つまり、話したいことがあるわけじゃない。でも、何にも目的がないってことはないだろ、たぶん)
さっき話した「なんとなく会いたくなった」という理由も、確かに魅力的ではあるが、真実ではないだろう。彼女の性格に、その動機はそぐわない。
何かに気づいて欲しいのだ。そこまではわかった。だが、何に気づいて欲しいのかとなるとお手上げである。
(なんか、怒ってんのかな……でも、そういう感じでもねーし。………まてよ、いつもより気合いの入った格好で、夜中に、わざわざ家を抜けて=家族に内緒で、ここに来たって、ことは……)
(……まずい)
冷汗が流れる。
未練がましく、気づいてもらえないかと沈黙を続けていたら、ナルトの想像力はどうも違う方向に向いてしまったらしい。向かいから漂ってくる、邪なオーラに背筋が伸びる。
(どうしよ……そんなつもりじゃないって、言っておいた方がいいかも……でも、変に否定するとかえって逆効果かな……)
思考をめぐらせながら、重心を移動していつでも立ち上がれる姿勢を作る。……だが、次第に、虚しい気持ちが胸の中に湧いてきた。
(………でも、誤解させちゃうのもしょうがないよね。こんな遅くに、私から部屋を訪ねて行ったんだから)
彼の気持ちを思えば、ここで拒絶するというのも無体な話かもしれない。いつかは来る日なのだから。そう思えば、今日という日は悪くない。相応しいとすら言える。
そうだ、今なら言えるじゃないか。自然な流れで、気兼ねなく。
「ナルトくん、あのね!」
「え、ふぇ!? あ、ああ、うん、何だってばよ!?」
空を見つめて何やら妄想の世界に浸っていたらしいナルトが、慌ててヒナタに視線を戻した。彼の瞳を見つめながら、言葉を続ける。
そうだ、初めからこうすればよかった。率直な言葉で伝えればよかった。
祝ってほしいなら、素直にそう言えばよかったんだ。
「実はね、今日は、私の……私の」
「危なああああああああああああああああい!!」
絶叫と共に、部屋のドアが吹っ飛んだ。唖然と見つめるヒナタとナルトの視線の先には、白装束に身を包み、ヒナタと同じ白い瞳を吊り上がらせる一人の男――
「ね、ネジ!?」
「ネジ兄さん!?」
「近あああああああああいっ!!」
ネジが再び咆哮を上げる。
「近い近い近いっ!! 離れろ!! 5メートル離れろできれば50メートル離れろ即座に離れろ!! なんだその距離は!! 籍を入れる前の若い男女が、そんなことでいいと思っているのか!? いいからともかく今すぐ500メートル以上――」
こきゅっ。
呆気にとられる二人の前で、熱弁をふるっていたネジの首が、彼の背後から伸びた手によって100度ほど傾けられた。やたら小気味いい音を立てて、ネジが沈黙する。
「ったく、いきなり暴走しやがって……」
後ろからネジを黙らせたのは――
「キバ!?」
「キバくん?」
「よっ、お二人さん。災難だったな」
白目をむいているネジを抱えて、軽い調子であいさつをしてくるキバ。
「こいつはオレがなんとかしといてやるよ。お騒がせしちまって悪かったな、それじゃ」
一方的にそう言うと、さわやかな笑みを浮かべて立ち去ろうとする。
「ってちょっと待てぇ!! お前こんなとこで何やってんだってばよ! ネジもそうだけど、偶然通りかかったなんてコトねェだろ!! ひょっとして盗み聞き――」
「いやいや、そんなわけないだろ? ちょっと極秘の任務でこの辺に来ただけだって」
「そっちの方がありえねえって!」
ナルトのツッコミを無視して、キバはネジの体を担ぎ直すと、二人に向けて手を上げた。
「んじゃあな。ドアの方は後日フォロー入れるから、今は適当になんとかしといてくれ。それじゃ」
「あくまで『任務』で押し通す気なのか……」
「悪いな。極秘任務なもんで」
にしし、と悪戯気に笑って、今度こそ立ち去ろうとするキバに、
「キバくん。――『今日は遅くなる』って、伝えておいてね」
と、ヒナタが声をかける。
その言葉に、キバはしばらく動きを止め――やがて、振り向かぬまま「おう」とだけ応えて、去っていった。
「……ヒナタ、今のは?」
「キバくんに指示を出している人に、ちょっと心当たりがあったから。ねえ、それよりもナルトくん」
「ん?」
「今日、……泊まっても、いい?」
「……零時、過ぎちまったな」
「過ぎたな」
「過ぎちゃったね」
「……結局、阻止できなかったか」
「いいんじゃない? 不本意な形になるなら止めたかったけど、どうも余計な心配だったみたいだし。父上の指示には反することになるけど、まあ合意の上ならいいかなーみたいな」
「んな無責任な……甥っ子ができてもしらねーぞ」
「結局、失敗したのは確かだけどねー。くそー、『眼』がもうちょっと上手く動いてくれればなー」
「もうちょっとどころではない。暴走もいいところだ」
「あはは、本当にしょうがないなー」
「ああ、そうそう、ヒナタから伝言だ」
「え? 私に?」
「『今日は遅くなる』、だとさ」
それを聞き、にやり、と皮肉に口の端をゆがめて。
「……やるじゃん、姉上」
ハナビは、そうつぶやいた。
(おしまい)
(あとがける)
このSSは2007年12月27日にUPしようとして間に合わず28にUPしたものです。うう……。間に合うと思ったんだ……。
なんでわざわざ日にちを明記するかはわかる人だけわかってやってください。
一日で書いただけあっていろいろと無茶ですね(笑)特にキャラ設定がもう無茶苦茶。ネジ兄さんとかファンの人に見せたら八卦六十四掌喰らわされそうなことになっておりますがまあ許してやってつかあさい。
いちおうハッピーエンドのつもりです。異論は認める。色々と説明不足なところもあるし、後で見返してちょこっと書き直すかもしれません。
あ、この夜の二人の様子は、当サイト別館の18禁『居留守御殿』でどうぞ!(嘘ですよ)