世界の終わりに鐘が鳴る

 

 

 りんりん、と暗闇にベルの音。

 私は暗闇で眼を覚ました。りんりん、とベルの音が、玄関から聞こえてくる。家の呼び鈴は、あんなに奇麗な音色をしていただろうか?

 時計は二時半前を示している。父や母の起き出す気配はなく、私はしかたなく寝床からはい出る。眠い目をこすり、玄関に向かう。

 寝ぼけた私は不用心にも扉を開けた。少女とも少年ともつかない、おかっぱの子供がそこに立っていた。少年は広義で少女も含むからこれは少年なのだな、と私はぼんやり考える。少年は似合わない黒いスーツを着て、世界の終りのような真面目な顔をして突っ立っていた。口を開くと、さっきまで鳴っていたベルの音と同じ、高く澄んだ声が漏れた。

「私はあなたのキューピッドです」

 私は扉を閉めた。とたん、りんりんりんとうるさいくらいに少年がわめくのが聞こえてくる。

 しかたなしに私はもう一度扉を開く。

「あなた、さっきからりんりんって口で言ってたの?」

「聞いてください! 大事な話なんです!」

 人の言葉を無視しておいて、必死の形相で少年は言う。

「実は、もうすぐ世界は滅びます」

 私は扉を閉めた。即座に鍵をかける。

「なんで閉めるんですかぁ〜」

「うわあ!」

 目の前にいきなり何の脈絡もなく少年が現われて、私は思わず悲鳴を上げた。びっくりしたー、と意味のないことをつぶやきながら動悸の治まらない胸をさすっている間も、少年は恨みがましい目で、じっと私を見上げている。

「大事な話があるって言ってるじゃないですかぁ〜」

「ていうか、あなたどっから入って来たのよ」

 言ってから、気付く。少年の体の後ろ半分は、まだ扉にめり込んでいた。少年は何の気なしに普通に歩いて、体の残りを玄関の中に入れる。その背中から、一対の白い羽が生えているのを見て、私はようやく、この少年が真実を語っているのかもしれないと悟った。

 何も言えずにいる私に、少年は一礼した。

「申し遅れました。私はあなたの守護天使、名をウロウロと申します」

「うろうろ……」

「ご存じないでしょうが、人はみな天使によって守護されているのです。命が生まれる時天より遣わされ、その命が再び主とあいまみるその日まで守り導くもの。それが守護天使です。私はあなたがこの世に生を受けた日から今まで、ずっとあなたを見守ってきたのですよ?」

「そ、それはどうもありがとうございます」

「いえいえどういたしまして」

 私がとりあえずお礼を言うと、ウロウロはまんざらでもなさそうに笑ってみせた。

 嬉しげな微笑から一転、天使を自称する少年は彫刻のような無表情を作り、おごそかな声で言う。

「主は」

 と、そこでうやうやしく胸に手を添え、祈りを捧げるように眼を閉じ、

「審判を下されました。全ての人類は滅びます」

「……って、え? ……え、それって、神様がそう決めたってこと!? なんで!?」

「心当たりはありませんか?」

 反論しようとして、私は言葉に詰まる。

「私はその理由を告げに来たのではありません。審判はすでに下され、それが覆ることはないでしょう。今更知ったところで手遅れです」

 何も言えずに、私は沈黙のまま立ちつくした。

「主が審判を下された日、私たちは、己の守護する人間に滅びの来ることを伝えてはならぬと主より仰せつかり、また私たちもそうすべきであると考えました。いずれ避け得ぬ滅びであるならば、せめて何も知らぬまま、せめて静かに、と」

「そんな……そんなのひどすぎるわよ!」

 ウロウロの話の途中で、私は声を荒げて叫んだ。ウロウロの話の信憑性が増すにつれ、怒りが沸き起こって来たのだ。

「勝手すぎる! 私たちを作ったのは神様なんでしょう!? それを、なんだか知らないけど、気に入らないからなんて理由で全部消しちゃうなんて、あんまりじゃない! その神様のところへ連れて行ってよ、ウロウロ。私がそんなのやめさせてやる!」

「それは頼もしいですね――しかし、」

 と、ウロウロが私の顔を覗き込んだ。途端にがくん、と体が動かなくなり、濡れた綿を喉に詰まらせたように呼吸ができなくなる。

「私にさえ抗えないあなたが、いったいどうやって創造者たる主に逆らうおつもりですか?」

 ぱちん、とウロウロが指を鳴らすと同時、私の体が解放された。冷汗がどっと吹き出て、いきなり肺に流れ込んできた空気に咳き込む。

「失礼。少し手荒な真似をしてしまいましたね。……兎にも角にも、守護する人間には滅びを伝えてはならないというのが天界の定めた方針でした。しかし、私はその禁を破り、あなたにこうして伝えに来た。滅びは避け得ぬ。しかしあなたはあまりにも若い。このままあなたという命が消えてゆくのはあまりにも哀れです。残されたわずかな時間で、せめて少しでも悔いの残らぬようにしてやりたいと」

「そんなこと、急に言われても!」

 私は咳き込みながらもなんとか言い返した。

「時間がないのです。私もできればもっと早くにお伝えしたかった」

「その、滅びの日っていつなの?」

「2018年・3月3日の三時三十三分です」

「明日じゃない!! しかも、もう深夜の二時半だから……あと十三時間しかないってこと!?」

「はい? 十三時間? そんなにないですよ」

「………え? ………ウロウロ、3月3日の三時って、午後三時? 午前三時?」

「午前です」

「……それはつまり、正確には3月4日の深夜三時ってこと?」

「いえ、正確に3月3日ですね」

「今日かぁぁぁぁーーーっ!!!」

 我を忘れて絶叫する。ウロウロの胸倉をつかみ上げてぶんぶん揺すりながら、とにかく叫ぶ。

「今日か今日か今日のことかそれはーっ!! しかもあと一時間しかないし!? 一時間で悔いのない人生過ごせってか! あたしの人生ナメんなぁぁぁぁぁっ!!」

「しかたなかったんですよー……早くに教えてあげたいのはやまやまだったんですが、やっぱり主の僕であるところの天使が主の意向に逆らっちゃうのはいかがなもんかなーとか考えてるうちに、いつのまにやら終末の時間に。ほら不可抗力」

「どこがだ――――っ!? あああ……もうっ!」

 私は馬鹿天使を放り投げると、急いで家の中へと駆け戻った。時間がない、とりあえず、思いついたことからやってしまわねば。

 リビングを通り、奥にある両親の寝室まで行こうとしたが、その途中で、テーブルに座ってお茶を飲んでいる母と出くわした。

「あら、どうしたのこんな夜中に――」

「お母さんっ!」

 数時間前まで見ていた母の顔が、まるで何年も生き別れていたかのように瞳に焼きつく。私は溢れそうになる涙をこらえながら、母に向けて深くお辞儀をした。

「今まで育てていただいて、ありがとうございましたっ! このご恩は永遠に忘れません!」

「あらあら。まるでもう二度と会えないみたいじゃない?」

 頬に手を当て、わかっているのかいないのか、のほほんと母がつぶやく。私はあえて真実を伝えることにした。

「お母さん、実はね、あと一時間で世界が滅ぶの。だから、お別れとお礼を言っておこうと思って。今までありがとう、お母さん」

「あらあら」

 そういう事、と納得したように母は頷いた。

「そうね。それならわたしも言っておくわ。今までありがとう。十五年間あなたを育ててきて、本当に楽しかったわ」

「……ありがとう」

 本当のことを伝えてよかった、と私は思った。きっと母は、一時間後に世界が終るなんて信じちゃいないだろう。だけど、今受け取ったこの言葉は母の本当の思いだ。少なくとも、私はそう思ったまま終わることができる。

 泣いている暇はない。私は涙をぬぐい寝室へ向かう。寝ている父をコーヒーの香りなしに起こすのは、中々の難問だ。

 

「時間がありませんよ。そんなことをしていていいのですか? 最も有意義な終末の過ごし方を考えないと」

「おいしいココアを飲むのも、過ごし方のひとつでしょ」

 母の去ったリビングでココアを作りながら、私はいつの間にか家の中にまで入って来たウロウロに言い返す。

「それに、頭を働かせるためには甘いものが必要なのよ。脳みそフル回転させて有意義な過ごし方とやらをはやく考えないとね。時間が足りないから、だ・れ・か・さ・ん・の・せ・い・で」

「主にケンカを売るとは。中々たいした肝っ玉かあさんですね」

「あんたに言ってんのよ! 肝っ玉かあさんって言うな!」

 ぬるめに作ったココアを、一口すする。

 父と母から送られた言葉が、頭の中をめぐった。思い出すだけで胸が一杯になる言葉――しかし、今考えるべきはそれではない。それは最期の瞬間に思い出すべきものだ。

 今考えるべきは――そう、『死ぬまでにこれだけはしておきたいこと』。

「……世界各国の、名産料理美味珍味フルコース……だめだ、あと一時間じゃコンビニのカップ麺買い占めるのが精々だ……」

「それは時間があっても無理じゃないですか。最期の願いだからって、なんでも叶うわけじゃないんですから」

「わかってるようるさいな! だいたい一時間ってのが短すぎるのよ何度も言うけど!!」

「一日早く知らせていれば、違いましたか?」

「あー違ったね!」

「十日早く知らせていれば、違いましたか?」

「……そりゃ、まあね」

「どうして?」

「え? どうしてって……そりゃー、十日後に世界が滅びるとわかってれば、一日一日を有意義に過ごしたでしょうよ。時間が有限だとわかってたら、一日だって無駄にしたりしないって」

「世界の終末などなくとも、あなたたちの時間は常に有限でしたよ。人は、いつか死ぬのですから」

「……それはさ、その……いつ終りが来るか、わかってなかったからというか」

「何故です? 例えば六十年という期限が設けられたとしましょう。六十年あるのだから、そのうちの半分、三十年を無駄に使ってもいいのかもしれない。私はそんな勿体ないことはしませんが、まあいいのでしょう。ではもし、六十年という期限がなかったら? 三十年を無駄に過ごしたところで、終りが来てしまうかもしれない。四十年を無為に過ごしても、半分以上残っているのかもしれない。もしそうなら、それこそ一年を、一日を一時間を一分を一秒を、有意義に無駄なく使うべきではないですか? 訪れる一瞬一瞬を、全力で生きなければならないのではないですか? だって一年後には、一日後には一時間後には一分後には一秒後には次の瞬間には、死んでいるかもしれないんだから。……ほら、いつ終りが来るかなんて、わからないほうが頑張れるでしょう」

「……それは……それは、その……そうだけど。……そんな風に考えて生きてる人なんて、多分いないよ……」

 でも、確かにウロウロの言う通りかもしれない。自分が何をしたいのか、何をなすべきなのか。日々を懸命に生きていれば、そんなことは考えるまでもなくわかるはずだ。

(私はなんのために生まれてきたの?)

 創造主の下した判断を見るに、それはあまり考えない方がよさそうだ。

(じゃあ、私は何をするために生きているの?)

 モラトリアム真っ只中の中学生にそんなことがわかるはずもない。学生というくらいなのだから勉強が本分なのかもしれないが、世界最期の日にお勉強など全力で拒否させていただく。

(なら、私のしたいことは……)

 これなら思いつく。日常のくだらない些細なこと、世界情勢に関わるような大きなこと。多過ぎるほどに沢山の願いがある。

 ただし、今から一時間以内に実現可能なこととなると途端に数が絞られた。そもそも、独力で叶えられることなどたかが知れているのだ。ウロウロの手助けが得られるなら、いくつか実現可能な願いが増えるかもしれないが――

(……ウロウロの手助け?)

 ふと思いつく。天使の手助けが得られそうな願いとは?

 ウロウロは机の向う側からじっとこちらを見つめている。優しげなその視線を受けながら、私は胸の中で一つの答えを出した。

「ねえ、ウロウロ。ひとつ聞いていい?」

「なんですか?」

「最後の一時間に、私が何をしたいと思うか――ひょっとして、ウロウロは予想してたんじゃないの?」

「ほう……どうして、そう?」

「ふと思ったの。そう思ったら、さっきからのウロウロの態度が、なんか、待ってるみたいに見えたから。私がそれを思いつくってことを確信して、じっと待ってるみたいだったから」

「……その通り、ですよ。私はあなたの守護天使ですからね。あなたの望むことくらいはわかります」

「じゃあ……」

「しかしそれを私の口から言うことはできません。例え、あなたの中に既にその答えがあったとしても」

「……どうして?」

「あなたは、自分の意思でそれをしなくてはいけないからです。私がここでそれを口にしてしまえば、あなたは私の言葉によってそれをすることになってしまう。悔いを残さないためにも、あなたは自分でそれを思いつき、実行しなくてはならない」

「……うん。そっか。……そうだね」

 この夜が始まって初めてかもしれない。ウロウロの言葉に、私は素直に頷くことができた。

 

 クローゼットの奥から引っ張り出してきた一張羅を着込んで、鏡の前に立つ。はねた髪を撫でつけ急いで整える。

 時間がない。時間がない。家を飛び出し、夜道を走って私は和輝の家に辿り着く。

『…………はい、どちら様ですか?』

「あ、あの夜分遅くにすいません! 私、和輝君のお友達の、灘澄子です――」

「……澄子か。なんだよこんな夜中に」

 戸を開けて出て来たのは、寝間着姿の和輝だった。

「和輝、大事な話があるの! お願い、一緒に来て!」

「い、今からかよ!? つかドコに!?」

「とにかく来て! お願い、時間がないの!」

「わ、わかったから手を引っ張るな! ちょっと待て着替えるから!」

 

 別に期待していたわけではないけれど、寝間着を着替えた和輝の格好はなんら特別な所のない普段着だった。別に期待していたわけではないけれど。私のおめかしした恰好をみて、何かしら思う所はなかったのかと思わないでもない。

「で、どこ行くんだ?」

「あ、えっと……とりあえず象牙公園かな」

「とりあえずってお前……まあ近いからいいけど」

 しばらく無言で歩く。

「澄子。色々聞きたいことがあるんだが、とりあえずひとついいか」

「う、うん。何?」

 和輝は私の背後の、

「その子、誰だ?」

 ひょこひょこ付いて来ているウロウロを指さした。

「あ、この子は――って、え、あれ? ……え? 見えてるの? なんで?」

「いや見えてるよ。なんだよ怖いこと言うなよ」

「……ごめん、ちょっと待ってね」

 私は和輝に笑顔でそう言うと、呑気にへらへらしているウロウロの襟首をひっつかんで近くの路地に引っ張り込んだ。

「見えてるよ!?」

「見えますよ。むしろなんで自分にだけ見えて他の人には見えないとか勝手に設定作っちゃってんですか? あなたに見えるんだから、他の人に見えないなんてことあるわけないじゃないですか。非科学的だなー」

「羽生やして空中にふわふわ浮きながら非科学的とか言うな!! あんたこそどういう原理で浮いてんのよ!?」

 小声で叫ぶという小技を使って問い詰めるも、ウロウロは素知らぬ顔で聞いてくる。

「そんなことより勝算はあるのですか? 見たところなかなか親しげなようですが、それだけにかえって、今までの関係が足かせになって言いづらいというのもあるのでは? 実際、だからこそなあなあなままで今にいたるのでしょうし」

「ひ、人の葛藤を冷静に分析するなあ!! ないわよ勝算なんて! もうすぐ世界が終っちゃうってのに、恥や外聞にこだわってる場合じゃないでしょ――玉砕覚悟で特攻あるのみよっ!!」

「おお、その意気です! 下手に頭を使った作戦などよりよほどよろしい! それだけの勢いがあれば、必ずや成功するでしょう!!」

「……そ、そうかな? えへへ」

「そしてそのまま子作りになだれ込むのです!!」

「するかあああっ!?」

「おや、何故です? はっはっはご心配なく、いかな守護天使とはいえ、そんな所を覗くほど野暮ではありませんよ」

「もういいから天国に帰っててよ!! 後は一人でやるから!」

「さようですか。では、私はこれで」

「え? もしかして本当に帰っちゃうの?」

「いえ、近くのコンビニエンスで避妊具などを」

「帰れ!! 地獄にっ!!!」

そう言い捨てて、私は和輝の所へ戻った。

「で、結局なんなんだあいつは?」

「親戚の子☆」

 訝しげな顔で聞いてくる和輝に、満面の笑みを浮かべて答える。

「そうか。……んー……でもなんか、羽生えてたような……」

「ああ、あれ? 学校ではやってるんだって。今どきの小学生って、わかんないよネ☆」

「へぇー………」

 私の隙のない完璧な言い訳に、和輝もなんとか納得してくれたようだ。眠たそうに目をこすっているところを見ると、まだ半分寝ぼけているのかもしれなかった。 

 

 夜の公園に二人、ブランコに並んで腰かける。私は軽く地面を蹴って、小学校以来の、体で空を切る感触を味わう。和輝は止まったままのブランコの上から、そんな私をじっと見ていた。

「………」

「………」

 何の用事なのか、とは、和輝はもう聞かなかった。ただ黙って、私の言葉を待っているようだった。

 静かな公園に、きぃこ、きぃこ、とブランコの留め具が鳴いている。

「……あのさ」

 きぃこ、きぃこ、きぃこ……

「おう」

「………私ね」

 きぃこ、…きぃこ、……きぃこ、……きっ

 ブランコを止めて、私は和輝と向き合う。

「私、和輝のことが好き」

 和輝の瞳を見つめながら、はっきりとそう言った。

「いつからかはわかんないけど、ずっと昔から、好きだった」

「……ふうん」

 そうつぶやくと、和輝は私から視線を外して前を向いた。そして強く地面を蹴って、今度は和輝がブランコを大きく揺らし始める。

 ぎぃっ、ぎぃっ、ぎぃっ……

 私のブランコよりも大きな軋みが金具から上がる。角度で言うなら、−20℃と−160℃を言ったり来たりするくらいにまでブランコの振りを大きくしながら、和輝は金具の音に掻き消されないぎりぎりの声で、

「俺も」

 とだけ口にした。

 その素っ気ない、照れ屋の彼には精いっぱいであろう一言が、承諾の合図だった。

(こんなに――)

 こんなに、簡単なことだったのか。

 こんなことなら、もっと早くに言っておけばよかった。躊躇せずに、想いを打ち明けてしまえばよかった。

 もし、もっと早くに告白していれば、色々なことが一緒にできただろうに。映画を見に行ったり、旅行に行ったり、クリスマスや誕生日を二人で祝ったり。やりたいことは、沢山あったのに。

 公園の時計を見上げる。午前三時九分。残り時間はわずかに二十四分。こんな短い時間では何もできない。

「あのさあ、お前が良かったらなんだけど!!」

 照れくさいのか、まだブランコをこぎながら、和輝が大きな声を上げた。

「今度の休みにさ! 二人で、海にでも行かね!?」

「海? 二人で?」

「二人で! 昨日までは、タカとかも誘う気だったけどさ! せっかく、その、………なんだし!!」

 和輝は、あと数十分の内に世界が終ってしまうことを、知らない。

 一瞬、教えておこうかとも思うが、すぐに考え直した。教えたところでなんになるだろう。何も知らないまま、当然のように明日はやってくると信じたまま終わりを迎えた方がいい。

「……うん、いいよ」

 だから私は、笑顔で答えた。

 

 それからの時間を、私は和輝と公園で話をすることに費やした。他にもいろいろ二十分でできそうなことを考えたのだが、結局、私が選んだのはそれだった。和輝と、いつものようにくだらない話をして、一緒に笑い合うこと。

 後悔はなかった。和輝と話している間、私は世界の終りのことも忘れて、本当にいつものように、笑っていられたのだから。

 けれど――時間は冷酷に過ぎ去り、やがて、終りが近づいてくる。

 見上げた時計は、三時二十九分を指していた。残り、四分。

「さっきから時計ばっか気にしてんなー?」

 ジャングルジムの下から、和輝が疑問そうに言う。私はその時、ちょうど両手を離して立とうと挑戦している最中だったので、質問には答えられなかった。ふらふらとジャングルジムのてっぺんに直立してから、私は答える。

「んー、別に大したことじゃないんだけど。もうそろそろ……おっとと…………朝だなって」

「そーいやそうだな」

 言葉とは裏腹に、いまいち納得しかねるといった声色で和輝が答える。

「ねーそんなことよりさ、和輝も早く登ってきなよー。お月さんがすごく綺麗だよー」

「……お前の方が……、………だよ…」

「え、何なに何? もっかい言って?」

「ん? いや、『お前の方眼紙、4mmだよな』って」

「どういう意味っ!? そしてなぜ今それを言う必要がっ!! 絶対違うこと言ってたよね今!?」

「よっこいしょっ……と。おー、なんか懐かしい高さだな」

 私が苦労した道のりをひょいひょいと昇って、和輝が私の足の横に腰かけた。私もゆっくりとしゃがんで、彼の隣に座る。

 ここからだと、公園の全体がよく見えた。小さい頃、和輝と毎日のように遊んだ公園。最期の時はどうしても、公園を見渡せるこの場所で過ごしたかった。時計に目をやると、三時三十一分。残り時間はもう二分だ。

「……なあ、聞いていいか?」

「うん」

「なんで今日、それもこんな時間に告ろうと思ったんだ? いつでも時間はあったろ」

 その質問に答えるかわりに、私は和輝に聞いてみた。

「もし――もしも、明日世界が終ってしまうとしたら。もし誰かから、明日世界が終ってしまうことを聞かされたら、和輝はどうする?」

「……明日、世界が終るとしたら」

 もしも明日。

 もしも一週間後。

 もしも一時間後。一ヶ月後。一分後。一年後。一秒後。

 もしもこの刹那にも、世界が終わってしまうとしたら。

「……俺は、お前に会いに行くよ」

「私も、和輝に会いに行く」

 時計の針は三十二分。もうすこしで、針は三十三分を指し示し、そして全ての時間が終わる。その前に、その前に――私はジャングルジムの上で身をのりだして、和輝にキスをした。まぶたを閉じる一瞬前に見えた、驚いたような和輝の顔が、目を閉じてからも瞳に焼き付いていた。

 産まれてから今までのことが、頭の中をかけめぐる。お母さんのこと。お父さんのこと。幼稚園。初めて和輝と出会った時のこと。公園で遊んだ思い出。小学校。同級生たち。和輝と同じ中学校に行こうと、必死で勉強して。そして、結局かなわなくて――ああ、なんだ。こうして見ると、私の人生って、本当に。

(……和輝のことばっかりじゃない)

 我ながら苦笑い。だけどまあ、それならそれで、こんな終わり方もアリかもしれない。

 三時三十三分、ジャスト。どこか遠くで、天使の鳴らす鐘の音が聞こえた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……………っぷはっ!!」

「ぶは!! はっ、はっ、はぁっ、はぁっ……………ちょ、お前、……はぁ、……はぁ……少しは、加減しろ……いつまで口塞いでんだ……」

「はあっ、はあっ………ご、ごめん……自分でも、ちょっとお花畑みたいなのが見えてきて、流石にやばいかなって……」

「そうなる前に気づくんだよ、普通は……ったく、ムードも何もありゃしねぇ……」

「いやー、めんごめんご。……うわ、二分以上もキスしてたんだ私たち! それは息苦しく、も…………………………あれ?」

「今どき『めんご』てお前。……ん? どうした?」

 和輝の声に答えるのも忘れ、私は、呆然と時計を見つめた。

 そう、現在時刻は、午前三時三十五分。

「りんりーん! りんりーん!」

 どこか遠くで、天使の鳴らす鐘の音が、聞こえる――

「り・ん・り・−・んっ!! アッメ―イジ―ングッッ!! 奇跡、奇跡です! 愛する二人の想いが!! その無限のアガペーが!! この世界を、滅びから救ったのでーすー………!!」

「………おい」

 ジャングルジムの下を、りんりんとわめきつつ、コンビニの袋と薬局の袋を両手に持って振り回しながらスキップを踏んで通過しようとしたウロウロの胸倉を、即座にジムから飛び降りた私の右手ががっしりとつかんだ。

「おや、これはこれは。どうしたんですか怖い顔して」

「…………だましたわね?」

「何がです?」

「世界が終わるなんて……最初っから、全部!! 嘘っぱちだったのね!?」

「いえいえ、私にも完全に予想外でした。これは奇跡です」

「だったらそのレジ袋に入ってる大量のカップ麺はどーいうつもりよ!!」

「これは明日の昼ごはんですよ。いや、自炊した方がいいってわかってはいるんですけどね? 一人暮らしが長いものでついつい楽な方楽な方へと」

「知るかあ―――っ!! どうしてくれるのよちょっと!! あなたが世界が終わるなんて言うから、わた、私……幼なじみに、こ、こっ……告白……!!」

「でも、受けてもらえたんでしょう」

「う、うん……」

「なら、いいじゃないですか」

 にこにこと笑う、まさしく天使のようなその表情に、私の全身から力が抜けていく。

「……あのね……あなたね……」

「命短し恋せよ乙女、ですよ。時間は有限と身にしみてわかったでしょう?」

「ううう……確かにそうだけど、でも、でもなんで、わざわざこんな……」

「初めて会った時に、ちゃんと言ったじゃないですか」

「私の守護天使だから?」

「いえいえ」

 ちちち、とウロウロは不敵な表情で指を振る。

「初めて会った時、言ったはずです――『私はあなたのキューピッドです』って、ね」

「……あっ」

 確かに、言っていた。

「そっか。なるほど、確かに納得」

「でしょう」

「で・き・る・かあああ――――っ!!!」

「きゃーっ」

 

 

「……何やってんだか」

 月の光が降り注ぐ、ジャングルジムの上から――笑いながら逃げ回る羽根の生えた少年と、それを追いかけまわす一人の少女を見下ろして、和輝はつぶやく。まったく、今日はおかしな夜だ。月の奇麗な夜には、たいてい奇妙な出来事が起こる。何が何だかわからないくらいに。

 だがとりあえず和輝は月を見上げて、澄子のことと、今度の連休に海に行くことについて考えた。

 未来のことを、当たり前のように考えた。

 

 

 

END

 

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