顔岩 建設中

 

 

「火影様ー」

 呼びかけながら階段を上り、やたらと長い廊下を歩く。

「火影様ー? いらっしゃいませんかー?」

 廊下に面した扉の一つが開き、中から見知った女性が顔をのぞかせた。

「どうしたの?」

「あ、サクラさん。火影様を見かけませんでしたか?」

「火影サマねえ……そういえば今日は見てないけど。なに、急ぎの用事?」

「あ、いえ……実はですね、顔岩建築用の写真撮影がまだでして。もうすでに、下に撮影班の方々をお待たせしてしまっているんです」

「顔岩用の写真って、この間撮ってなかったっけ」

「あれは火影様の一存によってお流れとなりました。光の加減が悪いとかなんとかで、ちゃんと撮らせていただけなくて」

「あんにゃろ……大した被写体でもないくせしてよく言うわ」

 呆れ半分の半眼で悪態をつくサクラに、くすくすと笑いをこぼす。

「恥ずかしいんでしょうね、きっと。私たちは本来、日蔭者ですし――」

「どうだかねー。この里の中でなら、あいつほど有名な忍もいないんじゃない? 案外、写真なんかなくたって顔岩は彫れるかもよ」

「それが、彫刻班の方々も意地になってしまって、写真が上がってくるまでは断固として彫らないそうなんです。どうも火影様が、妙に美化した自画像を送りつけたりしていたようで……」

「……何やってんだか……」

 今度は呆れ全部の溜息をつくサクラに、苦笑を返す。

「変わらないわね、あいつは」

「変わりませんね」

 

 

 

 訓練場の空は、今日も青い。

 飛んでくる拳を、わずかに後退してやり過ごす。拳の持ち主である小柄な少年がバランスを崩したのを見逃さず、無防備な肩に掌をあて、ちょいと押してやる。少年が派手な悲鳴を上げてふっ飛ばされるのを見送りながら、身をかがめる――死角からこめかみを狙って突き出された細い棍棒が、一瞬前まで彼女の頭があった空間を貫いた。身を低くして、そのまま前に転がる――と見せかけて後ろに跳ぶ。目の前、彼女が移動するように思わせた場所を、小さな何かが高速で通過した。飛び道具。投げたのは十中八九、さっきから姿を見せていない三人目だろう。

 彼女を突こうとした棍棒を携えるのは、少年と同じくらいの年頃の少女だ。少女は度重なる攻撃失敗にも動揺を見せず、無表情のまま右手で棍棒をだらりとぶら下げている。

 唐突に少女の右手が跳ね上がり、彼女の顔面を目掛けた突きを放ってきた。頭の位置を少しずらして突きをかわしながら少女に接近する。対応は早かった。少女が棍棒をぐるりと回し、短く持った反対側の先端でカウンターを仕掛けてくる。たまらず後退して距離を離すと、右側から違う気配が迫る――

「だりゃああ――っ!!」

 無駄に気勢をあげながら、先ほど突き飛ばされた少年が踊りかかってきた。とっさに飛びのいたせいで不安定な姿勢になった彼女が、体勢を立て直す前にケリをつけるつもりだろう。その考えは悪くない。相手の力が不完全である内に叩くのは常套手段だ。実際、判断も反応も満点に近い――

 誤算があるとすれば。

「ああああーーぁぁぁ……お、お? …おおおおおおっ!?」

 放った蹴りを完全に空振りさせ、その勢いのまま少年の体が空中で回転する。悲鳴を上げながら、味方の少女に向けてくるくると突っ込んでいく少年。少女がぎょっとした顔でそれをかわし――そして、動きを止める。どしゃあん、と派手に土ぼこりを立てながら少年が地面に激突する。

「今のは、ヤスリがサンドに指示を出したんだよね? うん、悪くないよ。でも、ごめんね――柔拳使いにとっては、足さえ地面についていればそれが戦闘姿勢なの」

 少女に向けて言いながら、彼女は棍棒をくるりと回した――ついさっきまで、少女の携えていた棍棒を。一瞬にして武器を奪われ、呆然とした表情で少女がつぶやく。

「……あの瞬間でサンドを投げ飛ばし、それを目隠しにしつつ一気に間合いを詰め、棍節を奪ったということですか……」

「うん。サンドはもう少し、突進以外の攻撃を覚えた方がいいかな」

 少女の冷静な分析に満足して、彼女は笑みを浮かべる。

「実を言うと、私が使ったのは相手の勢いを利用して姿勢を直す技。相手を投げるのはおまけみたいなもので、ちゃんとバランスをとれば空を飛ばされたりはしないはずなんだけど……その辺、サンドは要鍛錬だね」

 とはいえ裏を返せばそれは、自らバランスを崩すほどの威力が一発に込められているということでもある。重い一撃に頼り切りなのはよろしくないが、成長次第では優秀なアタッカーになりそうだと彼女は内心でつぶやいた。

 三人目の援護は来ない。有効打の見込めない状況で、数に限りのある飛び道具を失いたくないのだろう。投げ飛ばされた少年は完全にのびていた。少女はまだ辛うじて戦闘姿勢を取っているものの、先程までの闘気は感じられない。武器を奪われたことが災いしているのだろう――少女自身、無手であっても決して弱いということはないのだが、精神的な動揺がかなり大きいようだ。少女がこの棍棒に対してほとんど信仰に近い信頼を寄せていたことを思い出し、少し罪悪感を覚える。まあ、忍をやっていれば武器を奪われるようなこともあるだろう。その時のための予防接種なのだと心を鬼にする。

「……うん、でも、まあ、よし。こんなものかな」

 そう小さく呟いてから、彼女は訓練場の隅々にまで響き渡るよう、声を張り上げた。

「では、今日はここまで!! 実戦演習を終了します!」

「だー! 終わったアーー!」

 彼女の言葉と共に、それまで倒れていたはずの少年がそう叫んで身を起こす。気楽な調子で伸びをする少年――サンドに、少女――ヤスリが非難の声を投げかけた。

「キサマ、起きていたなら攻撃を仕掛けろ。人が戦っている時にタヌキ寝入りか」

「サボってたみたいな言い方すんなー! タイミングを見計らってたんだっつーの!!」

「どうだか……」

「んだとォ――!?」

「まあまあ、二人とも今日はすごかったよ。もちろんトイシも。三人とも、だいぶ連携が取れてきたじゃない」

 彼女のとりなす言葉に、サンドはふいと顔をそむける。すねているようにも見えたが、ほめられて満足げな瞳の光は隠せていない。まんざらでもないようだ。

 一方、ヤスリの方はそう簡単には喜べないらしい。無表情ながらどこか不安をにじませた様子で、おそるおそる聞いてくる。

「ヒナタ教師、登録期限は今週末と聞いたのですが、いかがでしょう。実戦演習の結果次第、ということでしたが……」

 落ち込んだ声の調子からして、ヤスリ自身は望み薄と考えているのがわかった。

 ヤスリの言う登録期限とは、中忍試験の参加者登録のことだ。試験には相応の危険が伴うため、班の担当教官の許可がなければ登録はできない。彼女が自分の教え子たちに出した条件は、実戦演習でそれなりの結果を見せること――具体的には、『本気を出した彼女に一撃あてること』だった。彼女がその条件を提示してから、今日で約三週間。彼らは惜しいところまではいったものの、ついに一度も目標を達成できなかった。

 だが、とはいえ、まあ。

「うん、いいでしょう。津名サンド、拳真ヤスリ、そして片名トイシ。あなた達三人の、中忍試験挑戦を許可します」

「え?」

「え、マジ!? 合格!? やあったあああ――っ!!」

 彼女の言葉に、ぽかんとするヤスリ。対照的に、大声を上げて喜びを表すのはサンドだ。

「サンキューヒナちゃん! うおっしゃーやったああ!! ♪中忍試験、ちゅっうにっんしっけん♪」

「しかし……本気のヒナタ教師に私たち三人が攻撃を加えられなければ、中忍試験への参加は認められない、とおっしゃったのでは?」

 妙な踊りをおどっているサンドの隣で、ヤスリが生真面目に首をかしげる。その様子になんとなくむずがゆい思いがして、彼女は苦笑しながらほおを掻いた。ヤスリの融通の利かない実直さには、共感を覚える部分がないでもない。

「うーん……あの条件は、言ってみれば『どーしてもこの先に進みたければ、この私を乗り越えてゆくがいい!!』みたいな意味だからね。そうやすやすと達成されたら先生の立つ瀬がないよ。あれは、三人の全力を見るための方便」

 実際は三人の猛攻を避けるだけでもかなり手一杯で、彼らの成長次第では十分に達成の可能性もあったのだが、その辺はわずかばかりの威厳や矜持を守るためにも黙っておく。

「そ、そうだったんですか……」

「ちょっとマテ。てことはなにかいヒナちゃん、ぼくら初めっから実現不可能な目標に向けて走らされてたってえわけかい?」

 呆けたようにつぶやくヤスリの隣から、一転、真剣な顔つきになったサンドが口を挟む。

「冗談ポイだぜ!! こちとら、言われたからには『ああそうか、新米下忍のぼくたちも力を合わせれば上忍に一矢報いれるくらいにはなったんだなあ』とか思うじゃねーか!! それが実現不可能だったってんなら、それに向かって努力したこの三週間はなんだったんだよ!?(ぷんすか)」

「でも、そう思って頑張ったから、結果的には成長したでしょう?」

「……それもそうか……(考え中)」

「中忍試験、頑張ってね(にこっ)」

「おうっ!!! まかせときな!!!!(キラキラ)」

 あっさり説得されて輝かんばかりの笑みを浮かべるサンドに、笑いをこらえてうなずき返す。感情豊かなこの生徒はいちいち良い反応をかえしてくるので、見ていて飽きない。

「少し気楽過ぎるよ、サンド。結局、先生に勝てなかったこと忘れてない?」

 三人から少し離れた木立の上で、声。がさがさと音がして、背の高い少年がそこからぽとりと落ちてくる。

「そこにいたんだ。気がつかなかったよ、トイシ」

「またまた。先生なら白眼なしでもわかってたんでしょ?」

 落下した姿勢のまま、当然のように言ってくるトイシに、ぎこちなく笑い返す。いちおう二か所にまで絞れていたものの、そのどちらに彼がいるのかは最後まで判断できなかった。

 トイシの姿を見て、サンドが大声を上げる。

「あー、トイシお前、きっちり援護しろよな!! ぼくが空飛んでる時とか、絶好の援護ポイントだっただろ!?」

「えーと、どの時だっけ。たしか七、八回ほど大空を舞ってたよね君」

「一番派手な飛び方したやつだよ!!」

「ああ、あの一番芸術的な姿勢で飛んでった時」

 軽口を叩きながら、トイシはようやく立ち上がった。

「大体さ……さっきサンドは大喜びしてたけど、俺の考えでは微妙だなあ。中忍試験はアカデミーの卒業試験とはわけが違うよ?」

「トイシの言う通りだ。ヒナタ教師の言を疑うわけではないが、今のままでは合格は厳しいと考える。特に問題なのはキサマだサンド! いい加減、つっこむだけの攻撃法はどうにかしろ!!」

「へっへーん! いつまでも昨日のぼくと思うなよ!! なんと新術を開発したんだなこれが!!」

「へえ、やるなあサンド。ところで今度の術は失敗しても爆発しないよね?」

「というか、そういうのをなぜ演習で出さんのだキサマは。練習には恰好の機会ではないか」

「いやその、実は障害物が多い場所じゃ使えないんだ、この技。遮るものが何もない荒野とかなら、そうだな……クシャナ大蛇を吹っ飛ばせるくらいの威力が出るんだけど」

「なんだその著しく汎用性の低い大技は……」

 三人は集まって、ああでもないこうでもないとわいわい騒ぎ始める。口げんかのようにも単なるふざけ合いのようにも見えるこの雑談が、彼らなりの作戦会議なのだ。実際、この雑談から生まれた作戦やアイデアによって彼らが助かったことは、二度や三度ではない。

 今はからかうような調子でサンドの新術を役立てる方法を話し合っている三人を見ながら、彼女は自分が初めて試験を受けた時のことを思い返していた。

 きっかけは、担任の紅先生の提案だった。それまで彼女は、中忍試験の存在さえ知らなかった。変わりたい、そんな思いがあったからこそ進んで受講したものの、そもそもの提案がなければ考えもしなかっただろう。

『中忍試験、受けてみる気はない? 他の先生たちは、まだ早いって言うかもしれないけど……私は、そうは思わない』

 結果として、彼女はぼろぼろになった。試練に翻弄され、強者の影に怯え、決定的に打ちのめされ、最後には敗北した。そうしてまで得られたのは、たった一つの、小さな変化――小さな前進。しかしそれは今もなお彼女の中心に息づき、彼女を構成する核となっている。

 彼女が、中忍試験についての説明をした時。彼女の生徒たちは迷いなく「受けたい」と言った。彼女がいくら試験の危険性を、半ば脅すように説明しても彼らの決意は揺るがなかった。

 言い訳なら、いくらでも用意できる。

 やはり時期尚早だ――彼らは本当の意味で試験の危なさを知らないからそんなことが言えるのだ――かわいい生徒を命の危険にさらしたくない――確実に受かる実力をつけてからでいい――辛い思いをさせたくない――

 そんな理由で、先送りにするのも間違いではないだろう。彼女が上忍になってから、初めて受け持った生徒たち。育てるというよりは共に成長するようにして今日までやってきた、かけがえのない存在。危ない目にあわせたくない、それはまごうことなく彼女の本心だ。

 だが、彼らは受けたいと言った。自分たちの可能性を確かめたいと。

 それを聞いて――彼女もまた、それを見てみたいと思っている自分に気がついた。

(信じよう、この子たちを)

 彼らはきっと、多くのことを学ぶだろう。彼女には教えきれないようなことも、きっとたくさん。必ず何かを学んで、一回り大きくなって帰ってくる。

 ならば、それを信じて、待ってみよう。

「……なるほど、その方法なら確かに森の中でも使えるか。術を作ったぼくでもそれは盲点だった」

「どうしたって威力は落ちるだろうがな。まあかえって使い勝手はいいかもしれん。人一人倒すに十分な威力があればいいのだ」

「うん、今の理論でいくと、一抱えほどの岩なら一撃で粉々にできるね。とりあえず試してみようか」

「うむ、ではヒナタ教師、胸をお借りします」

「え、ちょ、ごめんねちょっとまって。今の流れからすると、ひょっとして先生を実験台にしようとしてる?」

「何事も実践あるのみですから。私の計算する限りではあの術が人体に直撃した場合、全体積の約八割が砕け散ると思われますがヒナタ教師は上忍なのでおおむね大丈夫ですよね?」

「えと、砕け散るのはさすがに困るかな……」

 訓練場の空は、今日も青い。

 

 

(続く)

 

 

 

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