機 語 翻 訳

 

 

 

「どうしてそんな顔をしているの」と真美は言った。

 私は何も答えなかった。

 彼女の質問の意味が、私には認識出来なかったのだ。私は『いつも通り』の表情を浮かべていたつもりだった。

 私が返事をしないでいると、真美は不機嫌そうに、

「どうしてそんな顔をしているの」と繰り返した。

「意味がよく解りません」私は今度は間を置かずに答えた。

「私はいつも通りの顔をしていませんか」

 そのいつも通りが問題なのよ、と真美は投げ遣りな調子で呟いて、私を睨みつけた。

 いつも通りが問題という言葉を真美がどんな意味で発したのか私には解らなかったが、彼女には私の沈黙を好まない傾向、また、常に正直な答えを求める傾向があるので、私はすぐに、

「問題とは?」と尋ねた。

「嫌。嫌なのよ。気に入らないの。とにかく嫌」

「? それは私の顔が嫌になったという解釈でよいのですか」

「あのねぇ、ライ――」

 言葉の後半は溜息だった。真美は目を閉じ、額に手を当てながら噛んで含める様にゆっくりと言った。

「あなたの無表情加減が嫌になったとか、そういう問題じゃないのよ。わたしが笑えと言ったらあなたは笑ってくれるでしょう? でもそれじゃあ意味がないの。わたしの求めているものは、今までみたいにわたしが一から十まであなたに入力してあげて、それで済むようなものじゃない。あなたが自分で考えなければ全く意味のない事なのよ」

 それから、彼女は目を開けるとふと悲しげな顔を浮かべ、

「まあ……あなたには無理なんでしょうけど」と付け加えた。

 無理なのよ、と今度は怒った様に呟いて、真美はソファーに乱暴な座り方をした。そして三度「無理なんでしょう」と言った。

「どうせ無理なんでしょうあなたには。自分から考えて自分から笑って自分から泣くなんて真似、あなたには永遠に出来ないのよ。わたしなんかよりずっと優秀なアタマを持っている癖に、どうしてそんなことも出来ないの? どうして感情が持てないのよ。どうしていつもいつも同じ様な顔をしているの!」

 平素は冷静で理知的な真美が激昂するのは珍しい状態だ、が、初めての事ではない。彼女と共に生活を始めてから二年と三ヶ月十四日間で五回、今と同じ様に真美は激昂した。

「それともわたしがおかしいの? 毎日毎日同じ様な事で喜んだり怒ったり泣いたり笑ったりしているわたしの方が異常? いいえわたしは正常よ間違っているのはあなたです。わたしにはまともな感情があるから、堪えられないのよ感情のないあなたが!」

 真美はこれまでの五回と同じ様に怒り、嘆き、嘲って、最後には失望してソファーに沈み込み、陰鬱に呟いた。

「やっぱり――無理だったのよ。人間と、ロボットの結婚なんて」

 

 2251年、高度自律装置法、通称ロボット法に、以下の条文が追加された。

 第152条、自律装置と人間との婚姻は自律思考能力査定に於て、論理的判断力A以上、感覚的判断力C以上を収めた自律装置との間でのみ有効とする。

 発足した当時は、人間性の低下や少子化などの諸問題を理由に、随分反対の声が上がったが、世論に逆らう事は出来なかった。ロボットと結婚したいと願う人間は、少なくなかったのだ。

 そこには――愛情は勿論あったのだろうが――人以外の意志に対する、抑え切れない好奇心があったのではないだろうか。私の知り得る限り、好奇心はあらゆる人間に共通する性質である。

 高度自律装置法、通称ロボット法第152条のもたらした混乱がようやく収まった頃、2254年四月二十六日に私と真美は出会い、翌年三月一日に入籍した。そしてその日から二週間後の三月十五日、彼女は今日の様に怒って、泣いて、わら嘲ったのだ。

 

 上手くゆく筈がないのよ、と顔を伏せたまま真美が言う。

「体の成り立ちからして違うもの。有機物で出来たものと無機物で出来たものが分り合える筈がないわよね。まして一緒に暮らすなんて事――上手くいく訳がないのよ」

 悲しげにそう言ってから、真美は顔を上げて私を見つめ、

「でもね」と呟いて、優しい笑みを浮かべた。

「わたしがライを好きになったのも、あなたとわたしが違う所為なのよ。きっとね。あなたの、なんにでも従順な所は嫌いだけれど、その素直さは好き。それは、今のわたし達にはない物だから。わたし達だって、生まれたばかりの頃はもっと単純で、素直だったけれど……成長して、色々な事が出来るようになるにつれて、どんどん複雑になっていった。そうして複雑になって、得たものは多いけど……きっと、同じぐらい多くのものを失ってしまったんでしょうね。だから、わたしはライが好きなんだわ。ライみたいに素直にはなれないから、それに嫉妬して、憧れてるのね」

 怒鳴ったりして御免なさい、愛してます――

 真美はそう言うと頭を下げて、もう一度微笑んだ。

 何と言うべきかは解っている。

 謝らないで下さい。私が悪いのです。

 私に感情がないのなら、これから出来る様に努力します。

 私も、貴女を愛しています。

 

 同じパターンだった。これまでの五回、真美は最後には常に謝り、それに対する私の答えもいつも同じで、そしてそれで全ては『いつも通り』に戻るのだった。

 それでいい。

 同じ答えで彼女が満足するのであれば、ためらう必要は全くない。

 だが、

 なぜだか、私はためらった。

 正体の解らない何かが私に警告している。何らかの不明要素が、私に同じ返答を拒否させた。

 真美は、笑みを浮かべて私の返答を待っている。その表情に、先程までの激しい感情の痕はない。私が、私がここでいつもと同じ受け答えをさえすれば、それで――

 違う。

 もう一度、真美を見る。真美は笑っている。その笑顔が、私にはまるで泣き顔のように思えた。

 何故そんなことを思ったのだろう。唇の両端を緩やかに持ち上げ、目元や眉から力を抜いたその表情は、笑顔だ。そう認識できるはずなのに。

 目の前の問題を解決するに当って、最も適切な解決法の実行をためらった事など、私は生まれてから今まで一度もなかった。それがどんな解決法であれ、唯一の方法であるなら迷わず選んだ。私はそれ以外の生き方を知らない。

 だから。私の発した言葉に、最も驚いたのは私自身だった。

「違います」

 真美は、不意を衝かれて驚いたように目を見開いた。彼女もまた、これまでの五回と同じように終わるものと予想していたのだろう。私は彼女の瞳を見詰めながら、言葉を続けた。

「貴女は先程、人とロボットは解り合えないと言いました。解り合うとは、そもそもどんな事を示すのでしょう。相手の感情を余す所なく把握し、同時に把握される事なのでしょうか。だとすれば、解り合うという事は不可能です。自分以外のモノの感情を知る事は、どんなに性能の良い頭脳を持っていても出来ません。他者の感情に対して、我々は予測する事しか出来ない。どれほど正確であろうとも、予測である限りは理解したとは言えません。人もロボットも関係なく、互いに解り合う事など出来るはずがない。それが当然なのです」

 私はそこで言葉を切り、

「真美」と呼び掛けた。真美は、真剣な面持ちで私を見ると、緊張の混じった声音で、はい、とだけ答えた。

「先程の貴女の笑顔を見て、私は貴女が泣いている様に感じました。今私が、解り合えないのは当然だと言ったのはその為です。私の事が理解出来ないからといって嘆く必要はないと言いたかったのです。それは当然のことなのですから。

 真美。私には、感情とはどんな物なのか解りません。だから、貴女に訊きたいのです。私は先程、貴女の笑顔から悲しみを感じました。その悲しみを取り除こうと、言う必要のない事を言いました。真美、私に教えて下さい。これが――感情なのですか」

 真美は答えずにただじっと、無表情に私を見ていた。やがて彼女の瞳から頬を伝って、大きな水滴が流れ落ちていった。

「……ねえ、ライ」

 真美は唐突に

「今のわたしは、どんな顔に見える?」と、私に尋ねた。

 私はしばらく考えた後に、

「笑っている、様に、見えます」と答えた。

「正解」

 そう言って真美はにっこり笑った。笑いながら、ぽろぽろと大粒の水滴を零した。 

 彼女の笑顔を見ていると、私は口元にくすぐったいような微妙な感覚が生まれている事に気が付いた。私がその感覚に戸惑っていると、真美が私の口元を指差して言った。

「それが感情よ、ライ。今のあなたの顔が感情そのものよ。感情っていうのはね、作る物じゃなくて、自然に生まれて来るものなのよ」

 私はその時初めて、自分が笑っている事に気付いた。

「好きよ、その顔。ライのその表情が、一番好き」

 真美はもう一度にっこり笑って、

 愛してるわ、

 と言った。

 私は彼女にぎこちなく笑い返して、

 愛しています、

 と応える。

 

 時計のアラームが、午前零時を知らせた。真美はぺろりと舌を出して、

「すっかり遅くなっちゃったね。何か食べよっか」と言いつつソファーから立ち上がった。

 私はそうですね、と答えたが、ふと大事な事を思い出した。

「真美、今日は掃除の日です」

 真美はすっかり忘れていたようで、そうそうそうだった、と呟きながら、ソファーに座り直して上着を脱いだ。

 私は掃除の為の道具を幾つか用意して、真美の腹部、人間でいうならへその辺りに手を差し入れた。そのままゆっくり上に持ち上げてゆくと、特殊なプラスチックで作られたカバーが開き、彼女の体内に収められた機械群が露わになる。私は基板の埃を払い、柔らかい布で電球を拭き、計器類の数値を確認し、傷んだコードを新品と取替える。彼女の命たるそれらの機械は、私が作業を行う間も絶え間なく動き続け、チカチカと点滅を繰り返す。その瞬きが、今日は何故だかひどく暖かく感じられて、私の口元には、またあのくすぐったい不思議な感覚が宿っていた。

 

 

Fin

 

 

戻る