神話の世界へようこそ 『アリフレロ キス・神話・Good by

 

 ※どのツラ下げて言ってんだてめえ、という感じの文章が続きますが、個人の感想ということでなにとぞご了承ください。

 

『アリフレロ キス・神話・Good by』中村九郎

 とっても面白かったよ! 皆におすすめ……はできないけど。

 

 短くまとめるとこんな感じ。理由などに興味のある奇特な人は下の文章を、あまのじゃくなあなたは今すぐ書店へGO!

 

 最初に書いたとおり、私はこの作品――『アリフレロ キス・神話・Good by』が大好きだ。しかしこの小説、人にすすめるには少々ハードルが高い。

 文章力は、少なくとも序盤の段階では高くない。主人公たちの行動は突飛で、場面描写も内面描写もおざなりにぽんぽんとストーリーだけが進んで行く。当然、読者はおいてけぼりを喰らう。実際私も序盤はかなりキツかった。

 ちょっと創作をかじったことのある人ならわかるかもしれないが、この症状は小説を書き始めたばかりのアマチュア作品によく起こる。通称『描写不足病』、正式名称は『作者はこれからの展開も設定もわかっているから何の問題もなく理解できるけど、読み手にはそんなのわかんないから描写不足で意味不明だよ病』だ。なんらかの理由で若き作家志望者の作品に触れることのある人は、高い確率でこの病気を目にすることになるのではないだろうか(と、自分の作品をながめながら)。『アリフレロ』の序盤の展開は、こうした未熟な作品とよく「似ている」。

 ここで「似ている」としたのは単純な擁護ではない。これが作者の力量からくるものなのか、それとも完全に計算された意図的なものなのか、私には判断がつかないのである。理由は後述する。

 さて、序盤でキツいと感じた作品を最後まで読むという人はどれくらいいるのだろうか? 私は最近、多少無理してでも読むようになった。理由の一つには、たとえ最後まで面白くならなくとも、読み切った方が自分の糧になると思ったからである。そしてもう一つは、ひょっとしたら最後がものすごく面白くなる作品を読み逃してしまわないように――だったのだが、残念ながらこれまで、そうした作品に出会ったことはなかった。そう、これまでは。

 この『アリフレロ』で、「ツマラナイ」が「面白い」に転換する瞬間を、私は初めて体験した。ネガポジが明確に逆転したのは、インターホン・ガールのホテル襲撃のくだりだろうか。とことん軽い命の尊厳、何がどうなろうととことん好き勝手に行動するマイペースなキャラたち、そしてとことん唐突で予想外、夢の中のような地続き感ゼロの展開。敵に襲われ吹っ飛んだホテルの一室でシャーペン遊びをしている三人を見た時に、こう思った。

 ああ、だめだこれ(笑)。これ、描写不足でも説明不足でもない。このヒト、はじめっから説明する気ねーわ(笑)。

 普通こういう感想を持ったら読むのを止めそうなものだが、この時はなぜか違った。作者が読者になんら説明する気がないと理解したとたん、なんだかものすごく楽しくなってきたのだ。

『アリフレロ』を面白いと思えるかどうかは、ここにかかっていると私は思う。このシーンに限らない、序盤か終盤かともかくどこかで、マラソンで全力疾走するかのように、フルスピードで意図的に読者を置いてけぼりにしようとする作者の存在を感じ取った時、「アホか」と見送るのか、「面白い、それは私に対する挑戦だな!」とついて行こうとするのか。どう考えても前者の方がまともだが、私は後者を選んでしまった。

 恐らく、そうすることで私はある種のいましめから解放されたのではないだろうか。感動的なシーンを演出したければ、読者の感情を誘導しなければならない。内面描写はそのための道具の一つである。上手く使えばより多くの人々に共通した感情を呼び起こす、つまり読者に、作者の狙った通りの反応を引き起こせる。このシーンでは主人公と共に憤り、こっちの場面ではヒロインと共に恐怖に怯え……といった具合に。だが、それは逆に言うならば、それ以外の反応を排除する、ということでもある。悲しいシーンで笑い転げてもらってはこまるし、恐怖を感じる場面で白けられてはたまらない。だから作者は苦心して読者の感情の流れをコントロールする。もちろんそんなもの完璧に掌握できるわけはないのだが、ともかく大体の小説にそういう試みがあるのは確かだ。

 しかしこの『アリフレロ』の場合、主人公たちが何を考えているのかわからないせいで、こちらとしては何を思えばいいのかわからない。仲間の一人が負傷しても、悲しめばいいのか笑いどころなのか全くわからない。それが序盤を読んだ時の戸惑いを生んだわけだが、いったんそういうものだと認識してからはその放置っぷりが楽しくなった。どこで感動しようが何を笑おうが誰を好きになろうが自由。主人公連中を悪役に見立て、閻魔の活躍を応援したっていいわけだ。誰に感情移入したっていいし、俯瞰ですべてを見下ろしたってかまわない。実は小説の楽しみ方としては普通のことなのだけど、それを思い出させてくれただけでもこの作品は偉大だと思う。

 

 後半の展開は特に楽しくてしょうがない。ビップである閻魔やバルカン、QB、小物のクランチなど魅力的なキャラクターが数多く登場し、主人公サイドは序盤から一貫したマイペースぶりでそれに対抗する。神話的なファクターが引っ張り出してはぶちまけられ、ぶっちぎりの高速展開がそれすらも置き去りにする。キャラクターはみなそれぞれが好き勝手に動き回り、殺したり殺されたり死んだり生き返ったり、もう滅茶苦茶。そして物語は、特に収束するでもないまま、はたと決着を迎える。けどこの結末こそが、この物語に妙にふさわしい気がしてならない。奔走して暴走した挙句、なんだかよくわからないままに終わりを迎えてほったらかし。そんな生き様だってあるだろう。

 この暴走展開の魅力にとりつかれてから話を読み返すと、描写不足と思われた序盤もこれ以上ないベストの文章に見えてしまうから困ったものだ。なんのことはない、『アリフレロ』は初っぱなから暴走していたのだ。表紙にもちゃんと「スーパーダッシュ」と注意書きしてある(それはレーベル名です)。

 序盤の文章を、ただのヘタクソとして切り捨てられない理由がここにある。受け手のことなど考えずガスンゴスンぶつけてくる言葉のキャッチボールこそが、作者の狙いなのかもしれないのだ。この物語を語るのは神話のアーキファクトである千里眼、すなわち神の目線である。内面描写が少ないのも当然、『アリフレロ』は最初から最後まで、千里眼の見た「起こったこと」の羅列でしかない。とはいえ千里眼も万能ではなく、すべての事情を把握しているわけではないから、必然断片的な情報の積み重ねになる。不完全な神の視点から語られる、奇妙で突飛な物語。作中の言葉を引用すれば、つまりこういうことだ。『アリフレロ』はどこまでも神話的である、と。現代的な神話の構築、それこそが作者のやりたかったことではないかと言うのはどう考えても言い過ぎだなうん。

 

 読者への説明を疎かにするのが、良いことだとは思わない。せっかく創り上げた世界を多くの人に理解してもらおうと努力するのは当然のことだし、そう心がけて創作にのぞむのは、ほめられこそすれ非難されるたぐいのことではない。読者だってやっぱり読んだ以上はその作品を理解したいし、楽しみたい。

『アリフレロ』には、いまいちその努力が見られない。もともとライトノベルとは一定の読者層にむけて出版されるものだが、この小説はその一定の層に向けてさえ書かれていない、理解されようとしていない気がする。

 だから、この作品が嫌いだという人がいてもしょうがないし、面白くないと感じる人がいても納得できる。そういうった理由から、人にはすすめられないのだ。「これ全然面白くねーじゃねーか時間返せ」と言われた時に反論のしようもない。

 ただ、それでも私は『アリフレロ』がとても好きだ。こころみが新しいからとか文体が特殊だからとかじゃなくて、読んでいて楽しかったから。

 

 説明不足は多い。首をかしげたくなる表現もある。決着は正直わけがわからない。だから人にはすすめないけれど。

 私は、とても面白かった。この作品が、とても好きだ。

 

 

 

 

『 アリフレロ キス・神話・Good by』 著:中村 九郎 イラスト:むらたたいち

集英社スーパーダッシュ文庫

 

アマゾンへのリンクって、勝手に貼ったら怒られるんやろか……

 

 

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