世界には、未だ知られざる闇が溢れている。

 時空の狭間より去来した異次元の魔物・『幻影獣』。彼らは光溢れるこの現世を乗っ取り、世界を闇に墜とさんとしている。

 世界の平和を守るため、そして愛する友を守るため!

 己が信じる正義のために、戦え、オーバードーズ!!

 

 

OVER DOSE!!

薄れる記憶、重ねる言葉

 

 

「――というわけで、幻影獣の攻撃をかわしたオレはひらり、ビルの屋上へ降り立った! 今だ!! 唸りを上げて光り出したオレの右腕が、幻影獣の一瞬の隙をついて襲いかかる! オーバードーズ・エナジードライブッ!! どごおぉおぉん!! 巻き起こる光と爆発! オレの右手に収束した生命エネルギーが――」

「はいはいそこまで。クライマックスでエキサイトするのはいいけれど、今は授業中ですよ大葉悟志(おおば・さとし)くん」

「ぉう」

 今初めて気がついたような声を上げて、ようやく悟志が口を閉じた。一瞬、教室に静寂が訪れ――

 次の瞬間、教室中に爆笑が巻き起こる。

「おいおい大葉、お前いくらなんでもやり過ぎだって!」だとか、

「どんだけ熱演してんだよ……戦隊モノの次回予告かと思ったぜ!」だとか、

「大葉ァ。何か一つのコトに入れ込むのは決して悪いことじゃないがな、もう少しTPOに気を配れ? 俺が国語の担当じゃなかったらお前、摘み出されてたぞ」なんて、先生まで笑いを堪えながらも奴の妄想一人語りをたしなめ、そして私にはクラス中から、ツッコミ役を買って出たことへの感謝と尊敬の念が、有言無言で寄せられる――

 ――なんてのは、新学期が始まってせいぜい一、二ヶ月までの話で。奴の暴走があまりにもたびたび起こり、必然それへのツッコミも習慣化されることにより、それらはセットで日常の一部となり。

 高校三年の二学期を迎えた今となっては、もはや悟志の語りは窓の外から聞こえてくる航空ヘリのローター音と同じ、ただの騒音と見なされるようになっていた。つまり、悟志暴走 → 私ツッコミ → 教室シーン(BGM:山田教師による世界史)である。何この拷問。

 なにがいけなかったんだろう。やっぱり一年の一学期に、隣の席の悟志があまりにうざったくて突っ込んだのがいけなかったのだろうか。しかし初日の授業ではクラスメイトの誰一人としてヤツに突っ込めず、授業の間延々と奴の話を聞かされることになったのだからしょうがない。あれが三日と続いていたら、私は偉大なるゴッホ画伯をリスペクトする羽目になっていただろう。

 しかし考えてみればそもそも奴は私に向かって話しかけているのであって、つまり私とあいつが幼なじみであるというその関係性自体に問題性があるのではないかと思い至り、人生のそんな早い段階でケチがついていたのかと私が一人苦悩していると、視界の端に、所在なさげにノートに落書きしている諸悪の根源、大葉悟志の姿が映った。ん? 諸悪の根源?

「そうか、私じゃなくてこいつが悪いんだ全部。うん」

「ぉう? どうしたんだ梓(あずさ)、そんなにオレを見つめて。ははあ、さては続きが聞きたくなったな? よしではさっきのとこがぼぶ」

 意味不明な論理でアホ話を再開しようとする悟志の大きく開けられた馬鹿口に、私はすかさず自前の消しゴムを突っ込む。やや大きめの、食べ物をかたどった女の子らしいファンシーな消しゴムである(白い豆腐型)。

「はぁーい大葉くん? みんなの迷惑になるから、今からキミのお口はこの樹脂性ゴムをもぐもぐすることに費やそうねー。はい、もぐもぐ、ごっくん」

「ふぉふぉふぉ、ぶぁはわわああうはわ、おえわけひほふはんへふはわわぼおうおうお!?」

「なになにこんなんじゃ足りないって? 大丈夫、大葉くんがそう言うと思って先生いっぱい消しゴム買ってきましたよ! ほうら何個入るかなー?」

 私がそう言いながら悟志の口に消しゴムを詰め込んで行く間にも、教室には本物の先生の声が静かに響き、ノートに文字を書き取る音が絶え間なく聞こえている。

 こんな風に馬鹿騒ぎができる私たちは、きっと恵まれている方なのだ。そう自覚して、私は誰にも聞こえないようにため息をついた。悟志には聞こえていたかもしれないが、別に、どうでもいい。

 

「いやーまいったまいった、いきなり消しゴムを食わされるとは思わなかった。どうせ食わされるなら、同じ白いのでもこの肉まんとかの方がいいな、オレは」

「そりゃそうでしょうよ……」

 奥歯で噛み潰した苦虫にしゃべらせるような心地で、私はうめいた。別に、冒険して買ってみた新発売のエッセンシャルバイツ羊肉まんが劇的にまずかったとか、そういうわけではない。

 学校帰りに寄ったコンビニの前で、のんきに肉まんをぱくついてる悟志を思いっきりにらみつけてから、私はようやく、ヨーロッパから輸入したという羊肉の入った中華まんに口をつけた。

 …………………。

「あ、梓がインスタントラーメン食わされた味の大御所みたいな顔してる」

「……店長を呼べ」

「いや、店長に罪はないだろたぶん」

「うるさいわね! いっちょまえに正論言ってんじゃないわよ脳内少年マンガ男のくせに!」

「なんだよ、最近怒りっぽいな梓は。何かあったのか?」

「あ・ん・た・が変わらなさすぎなのよこのピーターパン野郎。高校最後の年よ、学期始まってからクラスみんながカリカリしてるの、いくらあんたでもわからない?」

「木の実とかを? いやそれは気付かなかったなー」

「うちのクラスは動物園のげっ歯類コーナーか!? リスみたいな小動物が一斉にクルミかじってるの想像してちょっと和んじゃったでしょうが!! 受験よ、受験っ!! みんな受験勉強に必死なの!」

 言いながら段々と虚しくなってくる。なぜその必死な三年生である私が、同じ学年の悟志に向かってそれを説明しなくてはいけないのだろう。これが前世の業というやつだろうか。

 ……まあ、私はもう受験生ではないのだけれど。

「……とにかく、みんな頑張ってるのよ。三年間でほぼ間違いなく最高のやる気を発揮して授業に臨んでるって時に、わけわかんない話で授業妨害されてみなさい、あんた、消しゴム食わされるくらいじゃ済まないわよ?」

「ぉうう、そうは言っても、これが正義の味方としてのオレの仕事だしなー」

「一京歩譲ってあんたが本当に正義の味方だとしても何故その仕事内容を断じてキサマの関係者ではないこの私にわざわざ授業中に報告する!? 何故私にってのが特に重要よ! 重要だから太字で強調するわよ何故私に報告する言ってみろ!」

「――それは悪いと思ってる。でも、しかたないんだ……なぜなら」

「なぜなら?」

 悟志はつと、憂いを含んだ表情でうつむき、

「……オレは、梓を守りたいから……」

「ほほう?」

「梓を、危険な目に遭わせたくないから! だから、少しでも梓にあいつらのことを知ってもらうために、たとえ嫌がられても毎日――あっ何をする!? お前、そんなオレの肉まんの餡の所だけ取り出してどうするつもり――あああっ!?」

「……ぷう。ごっそさま」

「お前、お前よくも……! これじゃ、ただのちょっと温かいまんじゅうの皮じゃないか……!」

「つまんないこと言うからでしょ」

 餡のついた指をなめながら冷たく告げる。熱さに痺れる指先が、凍える風に冷やされて心地いい。

「それっぽいセリフをシリアスに言えば説得力が出るとか思ってんじゃないわよ。なんですって? あんたの小学生レベルの妄想で、私の身が守られてるっての? どこのネジをどれくらい緩めたらそういう回答がでてくるのかしらね」

「傾向と対策は大事だぞ! 町中で突然連中に襲われるかもしれないだろ? 敵を知り己を知れば百戦危うからずだ!! まずはおさらい、半透明で液状の幻影獣にはどんな攻撃が有効?」

「真面目に受験勉強もしてない奴が傾向と対策とか言うなっ!!」

 叫びながらも、頭の中で『香草の入った水をぶっかける』と即答してしまっている自分に気付き嫌な気分になる。毎日毎日悟志の脳内ファンタジーを聞かされているせいで、覚えたくもない知識を覚えてしまったらしい。確実に脳細胞の無駄遣いである。

「……いつまでも夢見がちなこと言ってんじゃないわよ、たく」

 いつものように毒づいて、私は帰路を歩き始めた。後ろから悟志がついてくるのを感じ(例によって私と悟志の家は隣同士だ)、横に並ぶのをできるだけ遅らせようと足を速める。

 こいつの言動にいらつく理由はわかっている。

 後ろめたいのだ、私は。

 受験戦争とは言っても、昔と違って今は様々な受験方法があり、結果として二学期半ばで大学の合格が内定し戦線離脱する生徒もいる。そして不肖私・福本梓も、そんな戦線離脱組の一人である。

 一応私だって勉強はしたし、それなりの努力の結果内定を手にしたわけだが、未だ戦時下のクラスメイトからすれば、何も考えずお気楽に過ごしている悟志のような連中と同じに見られても無理はない。

 それに、私には目的がない。進学の決まっている大学だって、確固たる信念を持って選んだわけじゃない。受かったから行くだけだ。そもそも、進学する理由が私にはない。親に行けと言われて、他にやりたいことも思い浮かばないから行くだけ。

 だから、後ろめたい。

 自分には夢があるのだと語る時の、あの瞳のきらめきが、私は眩しい。

 望みの行先へ手を届かせようと、必死になってあがく友人を励ます言葉を私は持たない。

 推薦に落ちて本気で涙をこぼしていたあの子に、まだチャンスはあるさなんて慰めを言う資格が、果たしてあの時の私にあっただろうか。

 そう思うと、毎日馬鹿なことばかり言って何もせずに過ごしている悟志の姿が、自分と重なって見えてしまうのだ。結局は私も、こいつと同じ程度の人間ではないか、と。

 ――ふと思いついて、私は歩きながら悟志に尋ねた。

「あんたさ、将来の希望とか、何かある?」

 意地の悪い質問だったかもしれない。いや、はっきりと性根の腐った質問だったと言える。どうせまともな答えは返ってこまいと、腹の底で私は笑っていたのだから。

 求めていたのはいつもの妄言と同じ、将来性など微塵も感じさせない幼稚な答え。私の方がこいつよりまだましだ。相手を卑下して得られる最低の安心。

 だから、次に返って来た言葉に、私は驚かざるを得なかった。

「ぉう、希望ってほどじゃないけど、おじさんが経営してる会社があってな。そこの寮に下宿して、お手伝いみたいなことをやらせてもらおうかと思ってる」

「えっ?」

 完全に予想外の答えに、自分の口が馬鹿みたいにぽかんと開いていくのがわかる。

「賃金はほとんどもらえないだろうけど、まあ住み込みだし、生活はできるからいいかなって。……ん? どうした、梓」

「……いや、なんか、……あんたがちゃんと考えてたのが、すごく意外で。……あは、なんだ。やればできるんじゃない、悟志。見直したわよ」

 内心の動揺を隠して笑顔を作る。……住み込みでお手伝い、か。どんな仕事なのかは知らないが、おそらくは隙間を埋めるための補助要員といったところだろう。社員やバイトが病欠などで抜けた時に呼び出され、代わりとなる役どころだ。便利というと聞こえは悪いが、経営者にとっては重宝する存在である。

 こういう奴でも、社会には必要とされているということだ。……何の目的意識もなく生きている私なんかよりは、よほど。

「まあね。それになにより、時間に融通がきくってのが一番の魅力だな」

「へえ、なんで?」

「幻影獣が現れた時、オーバードーズはそれがどこであってもすぐに駆けつけなければいけないからだ!」

「結局それかっ!?」

 叫んでから、一気に脱力する。ちょっとまともな一面を見せたかと思えばすぐこれだ。

「ったくもー……大体、そんな化け物がそのへんをウロウロしてるなら、もっと騒ぎになってもいいはずでしょうが。一度くらい遭ってみたいわ」

「梓は遭ったことあるんだよ? だいぶ前だけど」

「はぁ? 記憶にないわよ」

「それは記憶を無くしているからさ。奴らはこの世界とは異なる時間軸から侵入してきた異界生物だ。幻影獣が現世で活動する時、そこは現世でも奴らの世界でもない特殊な時空となる。時間の流れすらも遮断された異空間にな」

「ああーはいはい、ちゃんと設定があるわけねわかったわかったワカリマシタ」

 ぱたぱたと手を振ってうんざりした気持ちをアピールしてやっても、微塵も意に介さず悟志の話は続く。

「この空間を作り出し支配しているのは幻影獣だ。よって幻影獣を倒せば、その空間で起こった破壊も消え、そこで得た記憶も失われる。この場合の空間というのは、それがそこに存在するという事実のことだからな。……ただ、失われた命だけは戻らない。その幻影空間で誰かが死んだとき、その誰かは初めから存在しなかったものとして世界から抹消されてしまう。オレは、それが許せない。何故なら、かつて、オレはある一人の――」

 何やら己の戦う理由みたいなものを熱く語っている悟志の横で、私はまだ一口しか食べていないこの羊肉まんをどうしたものかと悩んでいた。肉のクセが強すぎて食べられたものではないのだが、食べ物を粗末にするのは私のポリシーに反する。まずいとはいえ悟志に食い物をやるのもシャクだし――結局食べ切るしかないのかと、私はいやいやながらも二口目を口に入れた。……うーむ、やはり少々個性的過ぎるというか……いや、しかしこの濃い味は……ふむ、もう少し舌が慣れてくれば、意外といけるか……?

「――必ず、必ず勝ってみせる! あんたが守りたかったもの全て、このオレが守ってやるぜ!!』オレは、彼の墓前でそう誓った……! かくてオレは光の力を手にし、闇の者たちと戦う戦士になったのだった。ちなみにこの話をお前にするのはこれで五回目なわけだが、いやあ、いい話は何回聞いてもいいものだな。なあ?」

「え? あ、うぅ〜ん。……そうだね?」

「う、うわー! およそどんな会話の流れであったとしても問題なく使えそうな、オールマイティな受け答えだー!」

「あんたさあ――」

 私は肉まんを食べ切ってから、顔を上げて悟志を見た。ホントは言う資格なんてないけれど、言ってやりたいことがある。

「生きがいの妄想をやめろとはもう言わないわよ。けど、仕事とか日々の生活とか、そういう現実のこともしっかりやんなさいよ? あんたみたいなのでも、必要としてくれてる人がいるんだからさ」

 ……私とは違って。

 内心のつぶやきが伝わりでもしたのか、悟志は珍しく黙ったままで、じっと私の言葉を聞いていた。私が話し終わると、言い逃れもなく素直にうなずく。

「わかった。なに、信頼を裏切るような真似はしないさ」

「……なによ、いやに物分かりがいいわね」

「ぉう? そうか?」

 きょとんと首を傾げる悟志に、思わず笑わされてしまう。

「そうよぉ。でもあんたも、昔から考えると丸くなったわよねー。ちっちゃい頃はさ、今よりもっと激しくわめき散らしてたじゃない? オレはヒーローなんだー、なんで誰も信じてくれないんだーって。今だから言うけど、正直ひいてたわ」

「そ、そぉだったっけか」

「うんうん。そっから考えると、今はだいぶん大人しくなったわ。本気で信じてるかどうかはさて置くとしても、それが『他人に理解してもらえないこともある』ってのがわかってきたみたいね」

「うーん、まあな。でもいつか、わかってもらえる日が来るとオレは信じてるぜ☆」

「あ、ごめん、その日までに私死ぬわ」

「そんなに嫌かっ!? ていうか、命を粗末にするなー!!」

「いや老衰で」

「な、何百年かかっても認めてもらえないと!?」

「私は妖怪か!?」

「あ、なあ梓――」

 他愛のない会話をしながら、住宅街に続く裏道へ差しかかった時。ふと何かに気付いたように、悟志が私を押し倒した。

「――――――っふえええぇ!?」

 いや、正確には押し倒したのではなく、それくらいの勢いで道をはさむブロック塀に押しつけられたってか何を私は冷静に状況解説してあああ顔近い顔近い顔近いって!!!

「ちょ、ちょま、さ、ささささと、し、くん……?」

「――油断した、な」

 いつもと明らかに違う低い声音で悟志がつぶやく、ああもうそりゃ油断してましたともこんちくしょう! 近いとは言ってもちょうど夕陽を背負った悟志の顔はほとんど影になっていて私からは表情も見えないけど、それがかえって想像力をかきたてて凄いことになっております! 完全に状況に流されっぱなしの私は舵を失いコントロール不能、それどころか混乱してなんで意味もなく眼を閉じちゃったりしてますかねもう!? お化け屋敷の子どもみたいに、ギュっと眼をつぶってる私のほほに――

 目を開けている時には気付けなかった、熱い、ぬるりとした、感触。

 無意識のうちに、私はそれを指でぬぐい、

「え……」

 薄く開けたまぶたの向こうに広がるのは、夕日よりもずっと鮮やかな、赤。

「なに、これ。血……」

 顔を上げて、悟志を見た。

 逆光じゃない。背の高い悟志よりもずっとずっと大きな影が、私たちに注がれる太陽の光を遮っていた。三メートルはある漆黒の体躯の大男。敵意をむき出しにした顔の造りは人というより獣に近く、素裸の体のあちこちには、衣服の代わりとばかりに金物屋に並んでいそうな金属類がずらりと埋め込まれている。圧巻なのはその右腕だった。ラフレシアを生けるための剣山のような、それ自体が花に見えてしまいそうなほど大量に並んだ鉄の槍の群れ。その凶悪な無数の牙が、

 まるで私をかばうように覆い被さった悟志の体を、刺し貫いていた。

「さと、し……」

 胸から、腹から、首から肩から手から足から。いつもいつも下らない話ばかりしていたその口からも。裏返しのハリネズミみたいに、体中から無数のとげを生やして、彼は――

「――くっほ、ゆあんひは!!」

「は、……はああああああああっ!?」

 しゃ、しゃべった!?

「あうは、うおはないえ!!」

 言葉にならない言葉を叫びながら(当たり前だ、口の中にでっかい鉄の棒が突き出てるんだから)、ありえない力強さで、悟志は串刺しにされた己が身をひねる。その動きに合わせて、ばきごきぼきん、と重いんだか軽いんだかよくわからない音を立てながら、黒い巨人の鉄の槍が、片っ端から折られてゆく――

「なに、これ……」

 まるで無茶苦茶だ。まるっきりでたらめだ。

 人体の構造も物質の硬度も運動力学も全く無視した勢いとノリだけの、そう、まるでマンガみたいな展開――

「っだらああああっ!!」

 ひねった体を元に戻す勢いで――とか、真面目に説明しようとするのが馬鹿みたいな威力で、とにかくもうとんでもなくすさまじい威力で放たれた悟志の拳が大男の脇腹に炸裂し、その巨体を真横に吹っ飛ばした。どがああああん、とか、ずどおおおおん、とか、そんな感じの擬音語で表現できそうな轟音がアスファルトを揺らす。

 瓦礫に埋もれて沈んでいく巨人には、もはや目もくれず。悟志は割りばしのそげでも抜くみたいに全身に刺さった鉄槍を抜き取りながら、へたりこんでいる私に平然とした顔で言った。

「梓、大丈夫?」

「……えっと、……あ、うん……」

 まるで、私が道ですっ転んだだけのような悟志の口ぶりに、パニックを通り越して凍りついていた私の頭が辛うじて反応する。

「立てる? じゃあ走って住宅地の方まで逃げて…ああっと、大通りの方が数が少ないかな? なんにしろ今回はこの近くに幻界の特異点、平たく言うと中心があるからさ。とにかく、ここから遠ざかった方がいい」

「え――え、ちょっと待って、逃げろって、さ、悟志は? 悟志はどうするの?」

 平然とした態度とは裏腹に、悟志の体はひどい状態だった。体の数十か所に痛々しい傷があき、幾条もの血が流れ落ちて路上に真紅の水溜りを作っている。普通の人間なら、立つどころか生きていることさえ難しい状態だろう。一つ一つが致命傷となっておかしくない怪我なのだ。

 それらすべてが、まるで文化祭で施した仮装メイクだとでもいわんばかりに、悟志は笑っていた。教室で私に見せるのと同じ、どうということもない普通の顔で。

「オレは中心に用があるんだよ。まずは元栓を閉めなきゃな。それに、いつも言ってるだろ?」

 と、そこで悟志は、にやりと不敵な笑みを浮かべてみせた。

「ヒーローってのは、逃げずに立ち向かうからカッコいいのさ」

 

 見慣れた風景。学校の面する大通り、その大通りに続く田舎道。毎朝通学のためにたどるその道を、今は全速力で駆け抜けている。

「う、うわうわあぁああぁあぅあ!?」

 中途半端な悲鳴を上げながら、私はひたすら走り続けた。一体何が起こっているのかわからない。思考をまとめようとしても、混乱し切った脳はまるで液体みたいに、跳ねる体にシェイクされて固まらない。

 本当だったのか?

 あいつが――悟志が今まで私に言ってきたことは、全て一ミリの嘘もない真実だったのか?

 そんな馬鹿な、いくらなんでも信じられるわけがない――しかし、ならば彼が生きていることはどう説明がつけられる? 致命傷と呼ぶのも馬鹿らしいほどの傷をいくつも負ってなお、不死身のヒーローのように立っていた大葉悟志の姿を。

 本当に、あいつは正義の味方なのだろうか。

 ……ならば、私が、私が悟志にやってきたことというのは――

 そんなことを考えている余裕はしかし、ないようだった。ヒーローが実在するのならば、当然――

「……っ!!」

 ――その敵役も、存在する。

 

 見慣れたはずの風景は、いつのまにか異質のものへと変化していた。民家の陰から、横道の暗がりから、排水溝の闇から。夕日に伸びる影の中から浸み出すように、あの巨人と同じ、異形の存在が現れる。一つや二つではない、見る間に数を増やし、辺りを埋め尽くしてゆく。

「や、やばいってこれ……うぉあ!?」

 よそ見をしながら走っていた私は、いきなりけつまづいて悲鳴を上げた。なんとか踏みとどまって後ろを見ると、さっきまで何もなかった道の真ん中に、黒い大蛇のようなものが横たわっている。蹴飛ばしたせいか、流れ落ちる水を逆再生したような奇怪で不自然な動きで、その大蛇がかまくびをもたげた。二つの眼をもったそれはしかし実際には大蛇ではなく、気をつけの姿勢をした人間を無理やり伸ばしてチューブ型にしたような、悪趣味と言う他ない姿をしている。

「うええ……」

 泣きそうになりながら視線を前に戻すと、行く手の5メートルほど手前に、漆黒の翼竜が羽ばたきながら降りてくるところだった。

「………うううううー…」

 立ち止っている内にも怪物は増え続け、こっちに興味がなさそうなのも含めれば、既に30体を超える化け物が私を囲んでいる。

 迷っている時間はない。私はわずかにためらった後、翼竜の待ち受ける前方へと駆けだした。翼竜はまさか突っ込んでくるとは思わなかったのだろう、あわてて翼をはためかせ、空へ逃げようとする。小回りの利かないこいつは、その威容を用いた威嚇で獲物の足を止め、毒液を使って遠距離から仕留めるのだ。対して、相手からの急激な接近には非常に弱い。

 大きく広げた翼をがむしゃらに殴りつけると、バランスを崩して、雄叫びを上げながら翼竜が倒れた。もがく翼竜の翼に当たらないよう横をすり抜けて、私は再びかけ出す。背後からあの大蛇人間が迫って来るのを感じるが、あいつは記憶力が低いので一度姿を隠せば大丈夫なはずだ。容量の狭い蛇人間の脳は、一度視界から消えた相手のことを忘れてしまう。

 こうなったらもう、悟志の言っていたことを信じるしかない。あいつがこの怪物――幻影獣とやらを何とかしてくれるまで逃げきること。この状況下、ただの人間の私にできることといったらそれくらいだ。

 自販機の陰で蛇人間をやり過ごし、横手に見える細い路地へと逃げ込もうとして、あわてて踏みとどまる。行き止まりになどなっていようものなら致命的だ。そもそも通路の中に魔物がいないなどという保証はない。敵と鉢合わせしてもなんとか回避できる大きな道を行くしかないだろう。

 だが――道の真ん中に突然現れた、空に浮かぶ一辺3メートルほどの黒いキューブを見て、私は急激な方向転換を余儀なくした。

「―――――とわぁっ!?」

 バチバチという放電の音と共に、私は路地に飛び込んだ。直後、さっきまで私がいた通りを極大の光熱波が埋め尽くす。どう考えても対人兵器ではない、ロボットアニメにでも出てきそうなレーザーである。

 一瞬で光は消えたが、さすがに道に戻る気にはなれない。あんな危険なサイコロと鉢合わせするくらいなら、逃げ場のない路地で蜘蛛型の怪物に追い詰められる方がまだましだ。

 ……路地に張り巡らされた粘着性の細い糸を見て、私は即座に前言を撤回した。

 

 化け物蜘蛛の長い手足を絡ませて転倒させ、巨大な甲虫を模した魔物を引っ繰り返して起き上がる前に逃げ、闇色の人食い植物の罠を危ういところで回避し――

 道一杯に広がるほど大きな狗頭(だけ)の怪物の鼻に強烈なキックをお見舞いしたところで、はたと気付いた。あれ、なんで私戦ってんだ?

 容貌に似つかわしくないきゃんきゃんという鳴き声を上げながら、狗頭が道を引き返してゆく。再び逃走を開始しながら、私は首をひねって考えた。ここまでの道のりで何体かの怪物に襲われたが、何故か無傷で全て撃退できてしまった。そもそも普通の女子高生であるところの私が、わけのわからない怪物どもと互角に渡り合えているのはどういうことだ?

 実は、私もヒーローだったりして。

「いやいや、それはないそれはない……現にちょっと、息がヤバいし……そろそろ手足もだるいし……」

 十分ほど全力で駆けているのだから、実際ちょっとどころではなく限界が近いのだが、足を止める気にはなれなかった。これまで幻影獣に遭遇しても何とかなったのは、単に運が良かっただけだ。たまたま弱点を知っていて、偶然それを突ける状況にあっただけ。私ではどうにもできないような種類の敵がもし出てきたら、即座に殺される。それを知っているから、私は止まれない―――

「――えっ?」

 ―――そう、知っている。

「あれ、なんで……」

 私はこんな怪物にあったことなんてない。けど、その弱点を知っている。

「あ、」

 私はこんな事態に巻き込まれたことなんてない。けど、立ち止まってはいけないと知っている。

「あ、ああ、あ」

 私は知っている。けど、どうして?

 ……そうだ。

 あいつが、教えてくれたんじゃないか。

 いつも、話してくれていた。

 誰からも信じてもらえなくて。それでも、あたりまえみたいに。

 ただの妄想だと思われて。笑われて。それでも、毎日のように。

 私にさえ馬鹿にされながら、それでも!!

 いつも、私に―――本当のことを教えてくれていた!!

「――――ああああっ!! うあ、……ぁぁああああああああああああああっ!!!」

 泣きながら、わめきながら、私は走った。どうでもいいと思っていたあいつの話の一つ一つが、今は思い出すだけで胸が引き裂かれそうだった。

 あいつは馬鹿だ。本当に本当に馬鹿だ。

 黙ってればいいじゃないか? ヒーローってのはそういうものだろう。普段は正体をひた隠しにして、ここぞという時にだけ活躍すればいい。それがヒーローの義務だ。それさえできてれば、誰も文句なんて言いやしないだろう。

 必要もないのに自分から正体をばらして、信じてもらえずに馬鹿にされる――そんな情けないヒーローなんて、見たことない。それも、「自分の話を聞いた人間が、いざという時に思い出して助かるかもしれない」――たったそれだけのために。

 たった、それだけのことのために。

 なんて、馬鹿な。

 なんて、頭の悪いやつなんだ。

 なんて、心の善いやつなんだ――

 私は転んだ。涙で曇って前が見えなかったからだ。そのまま立ち上がれず、地面に座り込む。疲労し切った体では、重くなった心を持ち上げられなかった。

「ごめんなさい……」

 誰に言うでもなく、私は謝った。胸の内から少しでも吐き出さなければ、二度と立ち上がれそうにない。だが鉛より重たい懺悔の言葉は、どれだけ吐き出しても、心の奥からどんどんと湧き出てきた。

「ごめんなさい……ごめんなさい……ごめんなさい……」

 信じてあげられなくてごめんなさい。馬鹿にしてごめんなさい。ひどいことを言ってごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい……

「……って、」

 座ったまま、手の力だけで私は後ろに飛び―――

「――言ってる場合かあっ!!」

 ――背後に忍び寄っていた、人型の怪物に体当たりをくらわした。両手の先がでかい刃になっているそれは、私に振り下そうとその手を掲げたところにぶつかられて、見当違いの方向に刃を打ちつける。私は立ち上がりざまにその怪物の、ガラス玉みたいな眼が一つだけ揺れている小さな頭に、思いっきりアッパーカットを喰らわしてやった。嫌すぎる手ごたえを拳に残して、刃の怪物は私の足下に崩れ落ちる。

 涙をぬぐって、私は叫んだ。

「そこまでして、あいつが私を助けてくれてるのに……その私が、むざむざこんな所で殺されてたまるかっての!!」

 へたり込んで泣いていることなど許されない。切り抜けてみせる。悟志が与えてくれたこの武器で。

 ふと気が付いて辺りを見渡せば、私が立ち止まっている間に追い付いたのか、幻影獣達がずらりと私の周りを取り囲んでくれていた。つい先刻と同じような状況。異なるのはその全てが私を見、そして――なにかをためらうように、その動きを止めているという事だ。

 なぜ止まっているのかと考え、辿り着いた答えに、唇が不敵に歪む。こいつらは怖れてる。遙かに秀でた能力を持つはずの自分達を軽くあしらう私に、正体不明の危惧を抱いてる。

「……私が怖い? あんたたち!」

 当然だ。私には力がある。正義の味方から直々に、過剰摂取させられた情報こそが私の力だ。

「あんたたちは、私のことなんて知らないんでしょ。けどね、私は知ってる! あんたたちの考えそうなことだって、苦手なものだって! 私には、手に取るようにわかるんだよっ!!」

「いや、それは少し違うな。我々は、君のことを知っている――『福本 梓』」

 いきなり聞こえてきた人間の声に驚いていると、きちっとした黒いスーツに身を包んだ見知らぬ男が、怪物たちをかき分けて私の目の前に現れた。見た目はただの普通のサラリーマンだが、彼が移動するだけで行く手にいる怪物たちが道を退き、かしずく仕草を見せる。まるで、主を前にした僕のように――

「……そう。あんたがこいつらのボスってわけ?」

「理解が早いな。それは『オーバードーズ』から得た情報か?」

 私の呼びかけに、男は肯定と取れる返事をかえした。状況から推察しただけなのだが、言われてみれば確かにそんな話を聞かされたような気もする。人に近い姿をしたそれは、魔物の長だ――出会ったなら、迷わず逃げろと。

 しかし逃げようにも、怪物達に周りを十重二十重に囲まれた状況では無理がある。悟志から教わった対処法は、あくまで「安全な場所に逃げつつ邪魔をしてくる怪物を退けるため」の方法で、集団の怪物をどうにかするようなことはできない。つまり立ち止った時点で、私の命運はほぼ決まってしまったようなものなのである。

「我々は君のことを知っている、『福本梓』。『オーバードーズ』―――『大葉悟志』の友人よ。この『キヴェg゙・ドルズ゙ウニ――』失礼、この『幻影空間』はそもそも、君を確保することを目的とし制作された。『オーバードーズ』もさぞや慌てていることだろう……特異点がフェイクだなどと、思いもしなかっただろうからな」

「私を、狙って……!?」

「『オーバードーズ』の根幹中枢には、この世界の人間が組み込まれている。基本的性能では無敵を誇るあの戦闘生物を破壊するには、最ももろい人間部分への攻撃を行うべきだとの結論に達した」

 言いながら、男が右手をすいっとこちらに向けた。途端、身体に激痛が走る。

「あぐっ!?」

 一瞬意識が遠くなり、気が付くと私は地面に膝を着いていた。痛みに脂汗を浮かべつつ、男をにらみつける。一体何をされたのか、体がうまく動かせない。触れられもしない内に、一切の自由を奪われてしまった。

 男はどうということもなさそうに、ただ淡々と言葉を紡ぐ。

「君を確保し、『オーバードーズ』の擬似中枢パーソナル『大葉悟志』に働きかける。どのような働きかけが効果的かは今だ検討中だが……なにぶん、サンプルが少ないのでね。彼と同じ人間である君の意見を聞いてみたいところだが、それだけ敵意を持たれていては難しいだろうな」

「わ、私を人質にしようっての……!?」

「そうだ。必要以上の危害は加えない、大人しくしてほしい」

 一かけらの信用もないことを言いながら、男がゆっくりと歩み寄ってくる。

「……嘘つきなさい、あんたら、明らかに私を殺そうとしてたでしょ」

「捕獲せよとの命令を出したのだが」

「惑星間戦争兵器みたいなレーザー砲ぶち当てられそうになったわよ!?」

「なるほど、光粒子振動は人間には強力過ぎたか。善処しよう」

「………」

 おまえらの人間理解はその程度か。

「ふむ、手足を取り外すのはまずかったのかな? 前のサンプルはそれが原因で死んでしまったのだったか。もろい生き物だ……仕方ない、骨格を破壊するだけにしておこう。いささか逃走の不安が残るが――」

「――ふふ」

 思わずこぼれた笑いに、男の足がぴたりと止まる。

「何がおかしい?『福本梓』」

「いやあ……実にわかりやすいなって思って、さ」

 くつくつと、抑えきれない含み笑いと共に私は答えてやった。危機的状況も気にならないほどの愉快な気持ちが、笑いとなって込み上げてくる。男は私の様子に別段気分を害した風もなく、ただ不思議そうに首をかしげた。

「意味がよく理解できない」

「大したことじゃないよ。ホント、わかりやすいなあって思っただけ。……そりゃ勝てないよ。あんたらじゃ、悟志には絶対に勝てない」

「興味深い話だが」

 男は肩をすくめ、

「先に処置を行ってからでもかまわないか? 自力での脱走の可能性がある内は、なるべくリスクを冒したくない」

「だからさ――そこだよ。平気で人質を取ろうとしたり、手足を折ろうとしたり。それってさ、『悪役』のやることじゃん?」

 理解できなかったのだろう、男は私の話を無視することに決めたようだった。歩みを再開する男を眺めながら、私は断言する。

「だからあんたたちはダメなんだよ。だから悟志はあんたたちに負けない。必ず勝つ。何も知らない小さな子供にだって、それくらいのことはわかる。私が人質になろうが殺されようが、あんたたちがどんな卑劣な手段を使おうが一切関係なく!! 最後には絶対に、悟志は勝つ!! だってあいつは、大葉悟志は本当に――――――『正義の味方』なんだからっ!!」

 私が、そう叫ぶと同時。

 それまで微動だにせず私たちを囲んでいた怪物の一匹が、粉々になって吹っ飛んだ。

「なん――」

 男が驚いた様子で振り返る、そのわずかな間に。

 全ての怪物達が、一匹残らず同じように粉砕される。

「――だ、と……?」

 その一言をつぶやく間に部下を全て失い、もはやそれ以上の言葉もなく、男が立ちすくむ。やがて、呆然としたまま私へと視線を戻した男は、今度は驚愕に顔を引きつらせた。

 男と私の間に、私に背を向け、男から庇うように立ち塞がる一人の少年。ほんの数秒で怪物達を殲滅したその少年が、見慣れた仕草で私に振り向いた。魔物の体液にまみれた顔に、いつもと同じ笑みを浮かべて。

「ごめんな、梓。ちょっと遅かった?」

「……気にしないで。私も、今来たところだから」

「そりゃ重畳」

 そう言って、おどけたように笑ってみせる――

「―――『オーバードーズ』ッ!!」

 彼の姿を認めた男が絶叫した。男はまるで逃げるようにその場から飛び退くと、人間には発声不可能な奇怪すぎる声でうなり始めた。その声に呼び寄せられたのか、虚空から新たに何十体もの魔物が現れ出で、一斉にこちらへと向かって来る。

「梓、ちょっと眼、閉じてて」

 悟志は前へと向き直ると、ただ一言、そう告げた。

「うん」

 私は素直にうなずいて、眼を閉じた。まぶたが落ちる一瞬、砲弾のように魔物の群れに飛び込んでいく、悟志の姿が見えた――気がする。

 

「……はい、もういいよ」

 声に促され眼を開けると、そこに怪物達の姿はなく、より一層体液まみれの悟志と、地面を覆い尽くさんばかりの怪物達の血だまりがあるだけだった。幻影獣とやらの血は黒いらしく、凄惨というよりはむしろはしゃぎ過ぎた書道大会のごとき様相だが。ただし、匂いは血のそれだった。

「……全部、本当だったんだね」

 胸にずきりとした痛みを感じながら、私はつぶやく。

「自分の目で見るまでは、信じられやしないさ。どんなことだって」

 対する悟志の返事は軽いものだった。気楽に、頭の後ろで腕など組んで笑っている。

 ……こいつ、いつも笑ってるんだな。今更気付いたけど。

「……は、あは! いやあこりゃまいったわ!! ほんとにあんたが正義の味方だったなんてね!」

 悟志を真似するように、私も努めて軽い調子で言う。

「悪かったわね、今まで疑って! お詫びに、今度ご飯でもおごるわ――」

「あ、いや、それは嬉しいんだけどね。……多分、忘れちゃうだろ」

「―――あ、」

 そう、か。

 悟志の話が、全て本当なら。

 私は、さっきまでの記憶を全て、

「ちょ、ちょっと待ってよ、そんなのってないじゃん! な、なんとかなんないの!? 記憶を残す方法って、何かないの!」

「ないよ」

 苦笑しながら、悟志ははっきりと言った。諦め切ったその表情が何故だか無性に悔しくて、私は必死で方法を探す。

「そうだ、手帳――!!」

 ポケットに入れっぱなしになっている手帳を出して、適当なページを破る。

「無駄だよ。それも消える。『幻影獣によってもたらされた変化』は、一つ残らず消滅する」

 悟志の言葉を無視して、私は手帳の切れ端に書きつけた。くしゃくしゃに丸めてポケットの奥に突っ込んで、私は挑みかかるように顔を上げ悟志に反論する。

「試してみなきゃ、わかんないでしょ!」

「試したよ。考えられるだけの方法はもう、全部試した」

 そう言って笑う悟志の顔は、まるで聞き分けのない子供をながめる老人のそれだった。自分がとっくに忘れ去ってしまったものをまだ信じていられる、幼さと若さへの羨望のまなざし。

「もちろん、試したっていいんだ。でも、失敗するってわかっていても、どうしても期待してしまうからやりたくないんだよ」

「……悟志は、それでいいの? 自分が助けたことも、必死に戦っていたことも全部忘れられて、本当にあんたはそれでいいの!?」

 いいわけがない。覚えていてもらいたいに決まっている。忘れてほしくないに決まってる――そんな私の予想を、しかし悟志はあっさりと外した。

「うん、いいよ。オレはそれでいい」

「なっ……!?」

「最初は、そりゃつらかったよ。わかってほしいと思った。……でも、それはオレのわがままでしかないって、気付いたんだ。なあ、梓。忘れるのって、本当に悪いことか? この世界の本当を知ってしまったら、もう明日から普通の生活なんてできなくなる。いつでも何をしていても、奴らの影に怯えて生きていかなきゃならない。いや、もっと単純に、怪物に追い回されて怖い思いをして、傷つけられて痛い思いをして――そんな記憶が残るのがいいことなのか? 梓。前も言ったよな、梓がこうやって巻き込まれるのは初めてじゃない。そして、その度に無傷で済んだわけじゃないんだ。一生引きずらなきゃいけないような酷い怪我を負った『梓』を、オレは何度も見てきた。……この空間の外に出れば、傷は消える。そして記憶も消えるから、受けたはずの苦痛もなかったことにできる。それなのに、オレが正義の味方だってわかってもらうためだけに、そんな記憶を持ち続けて欲しいなんてただのわがままじゃないか? この空間の記憶を覚えていられるように試すってのは、誰かの、たとえば梓の人生を台無しにしてほしいってお願いするのと、同じことなんだよ」

「それは、でも、そんなの……!」

 反論なんてできない。できるはずもない。私がこの数時間で感じたことを、悟志は気の遠くなるほど長い間感じ続けてきたのだ。私の考え付くようなことなど、悟志はとっくに思いついて、試して、そして――失望してきたのだろう。

 そんな彼に、私が言えることなんてあるだろうか。そんな彼の出した答えを否定する権利が、私なんかにあるのだろうか。

 …………………でも。

 じゃあ、それでいいのか?

 今日の記憶を全て忘れて痛い思いも怖い記憶も悟志のくれた大切な気持ちも、全部捨て去っていつもどおり元通り。誰かさんが命がけで守ってくれた平和な日常を足蹴にして、後ろめたいだなんだと好き勝手にわめいて。私に知識を、命を、勇気を与えてくれた人の言葉を、信じもせずに聞き流して、したり顔で説教して。

 それでいいの?

 本当に、あんたはそれでいいの? 福本梓。

「……やだ。やだ、私は、私は忘れたくない! ……私、きっとまた、悟志のこと馬鹿にするよ? 悟志の気持ちも知らないで、またそんな何にもならないこと言ってって笑うよ!? そんなの嫌だ!! せっかく、嘘じゃないってわかったのに!! 守ってくれてるって、わかったのにっ!! 全部忘れるなんて、そんなの絶対に嫌だっ!!」

「忘れるんだ、梓。それでいい。毎日が平和で過ごせるなら、オレの話なんて笑い飛ばせるくらい、幸せに生きてくれたならそれでいい。オレは、今はヒーローになれて本当によかったと思ってる。だって、何事もなく、ただ笑ってる梓の顔を見ただけで、オレは、凄く、幸せな気持ちになれるんだから」

 だから、オレのことなんて、忘れてくれ。

 そう言って、悟志は消え入りそうなほど儚く寂しげに、だけど、これまで私に見せたどんな笑顔よりも嬉しそうに――笑って、みせたのだった。

「やだ、やだ………悟志、私は…………私は、悟志のこと、」

 私はその時、今/

 

 

 ………。

 ………。

 ……って。

 あれ?

「――そしてついに、首をもたげた暗黒龍の口から放たれる暗黒破壊波!! すさまじいまでのDパワーに、オレは吹き飛ばされる! 危うしオレ!! しかあしその時――」

「ねえ悟志」

 隣の、妄想に合わせひらひらと舞い踊りながら往来を歩いている二重の意味で危ない人に、私は不本意ながら話しかけた。

「どうした梓。オレの話を中断する時のあの暴力的なツッコミ、今日は無しなのか? おなか痛いのか?」

「……………あんた、ひょっとしてMなの?」

「ぉう? オレはオーバードーズだから、Oだぞ」

「意味がわからん! 全体的にっ!!」

 望み通り暴力的にツッコんでやってから、私は話を続ける。

「あのさ、あんたずっとその話してたっけ? なんか、別の話してたような気がしてならないんだけど」

「痴呆か?」

「……ねえ、明らかな冗談に目くじら立てるほど、心せまくないつもりだけどさ。なんでそんな、真顔で言うわけ……? そのへん、ちょっと理由とか詳しく聞かせてもらえる……?」

「そんなに気になる?」

「え?」

「まあ、記憶の残滓が残ってるだけだからさ。あと数分もすれば気にならなくなるよ」

「……はぁ。……まあ、いいけど」

 意味はわからないがなんとなく説得力を感じて、私はうなずいた。実際、さっき感じた違和感は、今では自分でもわからないほど小さくなっている。……しかし、悟志の話に説得力を感じてしまうとは……我ながら、相当疲れているようだ。

「あー……そういやなんかやたらと全身がだるいし。なんだこりゃ。ひょっとして三限のマラソン? うわ、元陸上部のプライドがご臨終ですよ……」

 ぶつくさぼやきながら(隣で再開された大葉くん独演会は無視だ、当然)私は剥き出しの両手を寒風から守ろうと、コートのポケットに突っ込んだ。

 と、かさかさした感触が指の先に触れる。引っ張り出してみると、それは手帳を破いて作ったメモだった。ある意味手帳の存在を侮辱するこの行為は私の癖で、その日の内にしなければならない事など、即時性の高い予定を書き込んである。……しかし、いつ書いたのか思い出せないな。大抵メモを見た時点で思い出しているのだが。

 また痴呆と言われても業腹なので、悟志からは見えないようこっそりメモを開く。と――

 メモは、白紙だった。

 ……いや、よく見ると今にも消えそうな薄い字で、何か書いてある――

「え〜と……『今日、さとし、デー……』……………ぇえええええええええええええええええっ!?」

 なん、

 なななななななななななななんだこれ!?

「ぉう? どうした梓、往来ででかい声出して。恥ずかしいやつだな」

「お前はでかい声出すよりも人前でやって恥ずかしいことがあるというのをいい加減自覚しろ!! なんでもないわよ!! ちょちょっと、コートのポケットに、今朝の食べかけのご飯つぶ……じゃなくって、ええと……」

 食べ物じゃインパクトが薄い、ごまかしきれない。私が、驚いて声を出すようなもの……そうだ!

「そう、ゴキブリ!! 干からびたゴキブリの死骸が入っててさ!!」

「け、今朝の食べかけの、干からびたゴキブリの死骸!?」

「違ああああああああああああああああああああうっ!?」

 喉も裂けよとばかりに、全力で私は叫んだ。

「と、とにかくそういうわけだから、別に気にしなくていいよ! これは家に帰ってから処分するわ!」

「わざわざ、家に持って帰って……? ……食うんだ………」

「食うかあああああああっ!!」

「大丈夫だよ、梓。お前がどんな奴でも、オレは、オレだけは友達でいてやるからな………!!」

「………………もういい……頼むから黙って……お願い……」

「……ミテホシクナイナラ、スナオニソウイエバイイノニ‐」

 妙なカタコトでそうつぶやきながら、悟志はちょっとペースを速めて私の前を歩きだした。もっともな言い草だと、心の中でだけ素直にうなずいておく。

「それにしても……これ……」

 やたらと無駄に疲れた気もしたが、とりあえず私は再びメモへと意識を戻す。……断じてこんな内容のメモを書いた覚えはない。だが、誰かのいたずらにしてはあまりにも汚い字(すなわち私の筆跡)である。

「結局、なんなのこれ……?」

 わけがわからない。無視するにしてもあまりに不気味だ。

 結局、答えを出せないまま、私はメモをポケットに戻した。まあいい、こんなものの指示に従う必要なんてない。……その、まあ従うにしても、今日じゃなくてもできるわけですし。

 だが、そのまま歩き出そうとした私に、誰かが問いかけた気がした。

 あなたは、本当にそれでいいの?――と。

「………ああ、もうっ!!」

 メモを取り出す。デとトと音引きに斜線を引いて、『飯をおごる』と書き直した。

 初めの文字は風が吹けば消えてしまいそうだったけれど、新しく書き直した言葉は残る。なぜかそれが、とても大事なことに思えた。

 いいだろう。今日の私はなぜだか機嫌がいい。あいつの馬鹿話をじっくり聞いてやるのも悪くないと、そんな風に思ってる。飯の一つや二つなら、おごってやろうじゃあないか。

 ……逃げずに立ち向かうのがカッコいいのだと、どこかの誰かも言っていたことですし。

「あ、あのさあ悟志! 今日、これから時間あるかな――!」

 前を行く悟志に聞こえるように、私は少しだけ声を大きくする。

 早く追いつけと、少しだけ足を速めながら。

 

 

 

 

 

(over dose over days, the over!!)

 

 

 

 

 

 

 

《あとがき》

はい、というわけでお届けしました本サイト初のオリジナル小説!!

もうね、二人の掛け合いを書くのが楽しくて楽しくて、最後のとこなんか自分でげらげら笑いながら書いてました。

傍から見れば大葉くんに負けない痛さですな。

基本的に『ジャンプの読みきり漫画』的なノリで書いてみました。おおむねさわやかなカンジに仕上がったと

自負しております。

あずさがもうちょっとおとなしい子になる予定だったんですが、うん、これはこれで。

 

 

 

 

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